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「聴く人」が足りない世界

運営しているサークルでは、「ダイアログ・ジャーニー(お話し相手)」というプランがあります。ひと月に一度、一時間ぼくとオンラインで対話をするという内容です。

仕事の相談を受けることもあるし、文章のアドバイスを求められることもあるし、〈対話〉の深い部分を質問されることもあるし、「考えていることを整理したいから話を聴いてほしい」と言われることもあるし、好きなことについてただただ語り合うということもあります。質問を受けることもあるし、ぼくが相手に質問することもあって。

これが、楽しいのです。きっと日常では、ことばの多くは聞き流されているのかもしれません。Twitterに書いた文章も、ほとんどが読み流されている。ことばにあふれた世界だけれど、届いていることは意外と少ないような気がします。一度立ち止まって、思い返してみてください。

今日、あなたは誰と話しましたか?
誰の文章を読みましたか?
その中で、こころに残っていることばは何ですか?

それほど多くはないのではないでしょうか。そこで、もう一度考えてみてください。

あなたのことばは、誰のこころに残っていますか?

途端に不安になるのではないでしょうか。話はしたけれど、「聞き流されて」いる気がする。文章を書いたけれど、「読み流されて」いるのではないか。あまり深く考えてしまうと、虚しくなってきます。

「聴く」「読む」は目の前の人の存在を肯定する行為です。〈対話〉は、相手を受け入れること、肯定することからはじまります。自分のことばに、耳を傾けてくれる人がいるだけで、こころの在り様は変わります。世界を革新させるのは一人の優秀な話し手の存在かもしれませんが、世界全体のしあわせの総量を底上げするのは聴き手の存在です。

世界には「聴く人」が足りていないように思います。

「インタビュー」だと、成果物のことを考えなくっちゃいけないから、気張っちゃうこともあるでしょう。そうではなく、ただ話す。そして、ただ聴く。考える時間も、愛おしい沈黙も、こぼれる笑顔も、お互いが共有する。相手のことばをこころに残す。

今夜の「ダイアログ・ジャーニー」は、終えた後にとても穏やかな気分になりました。そのような〈対話〉ができた歓びをずっと覚えていたい。

ぼくは、いつまでも「聴く人」であり続けようと思います。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。