文字の脇役「括弧」「句読点」「振仮名」についての気になる本3冊

タイポグラフィに関心のあるひとは造形だけでなく言葉そのものへの関心も高いことが多いけど、この3冊が気になった理由もそれぞれ「括弧」「句読点」「振仮名」という着眼点が面白いと思ったことから。

▼『括弧の意味論』木村大治
http://www.amazon.co.jp/dp/475714265X 
▼『テンとマルの話 —句読点の落とし物/日本語の落とし物』芝原宏治
http://www.amazon.co.jp/dp/4775401947
▼『振仮名の歴史』今野真二
http://www.amazon.co.jp/dp/4087205010

 
この本への興味は「約物の正しい使い方を知りたい」といったことではなくて、むしろ「自分で新しい記号を発明してしまいたい」という願望が自分にあったりとか、そもそも「書かれた文字から意味やニュアンスを感じてしまうこと」の不思議を知りたいという関心が動機。「括弧」「句読点」「振仮名」という言葉の脇役に注目した点が面白い。
 
ふつうは表現したい意味や感情があってそのために適切な言葉を使うものだけど、逆に言葉があるからこそ意味や感情があるのでは、ということはよく言われる。地域や時代で言葉が違えば、その言葉ならでは特有の意味や感情があったりなかったりすることも。
 
メディアが発達して例えば画面内の文字にカーソルを置くと注釈がポップアップするようなことも、「括弧」「句読点」「振仮名」などの仲間の進化形ともいえる。
 
ポップアップといった画面内のデジタルな振る舞いだけでなく、レガシーなメディアでも、たとえば写真のなかに見出しの文字を置くとして、その扱い次第では写真が文字に対する括弧や句読点や振り仮名のように機能することもありそう。
 
- - - - - - - - - - - - - - - -
『括弧の意味論』木村大治
  「…週刊誌の見出し、現代思想のテキスト、TVの字幕、数式やプログラミング・コード、そして現代にあふれる括弧的な現象…。括弧によって切り取られた言葉は、ある種のアブナイ性質を帯びる。言語の持つ生成性の源に触れる、現代コミュニケーション論…」
 
『テンとマルの話 —句読点の落とし物/日本語の落とし物』芝原宏治
  「…日本語に「マル抜け文」が多いのはなぜなのか?読点をどこにうつべきか?法則はあるのか? 英語で学ぶと簡単なことが、日本語で学ぶと分かりにくくなるのはなぜなのか? 言語学者が、それらの質問に応えた、何とマルマル一冊「句読点」と「句読法」…」
 
『振仮名の歴史』今野真二
  「…言語学上屈指の「無敵ツール」である振仮名に迫った一冊…」
 
- - - - - - - - - - - - - - - -
「括弧」「句読点」「振仮名」以外にどんな要素があるだろう。「罫線」についての関心に特化した話題をとりあげる下記のブログも面白い。
▼「デザインと罫線」
http://ogurayuta.hatenablog.jp
『…注目したいのは、(略)「飾りではない機能としての罫線の使い方」という言葉です。「飾りとしての罫線」、いわゆる「飾り罫」についての資料は充実しているものの、「機能としての罫線」についての考察は、前例がなさすぎて、参考資料がほとんどありませんでした。本ブログはそこへ切り込むものです…』