「ロジカル」は大概、バッタもんである

ウィトゲンシュタイン入門を読んでいる中で、彼の代表作の一つである「論考」からの引用でグッとくるものがありました。

「配列が世界の事物の配列を写すことができないのであれば、それは”無意味”となる。」

難解極まりないとされる「論考」を直接読んだわけでもなく、また自分が理解できる頭脳を持ち合わせているとは到底思えないのですが、荘厳な論理で築かれる哲学は、辻褄の合わないことを過剰なまでに排除しようとするわけです。
先の引用に倣えば、私たちが躊躇いもなく口にするあいさつや常套句には意味が宿っておらず、言語として認められないものになるからです。

これは物理学などにも同じことが言え、不純物を断じて許さない偏執的な潔癖さを持った人間でなくては、理論を完成させることなどできようがないと思えます。
フォン•ノイマンやアインシュタイン、ファインマンなど錚々たる物理学の重鎮たちは生活に支障をきたすほど、論理整合に文字通り命をかけたわけです。

そして、そんな彼らの論理ですら時代の淘汰を経て時の泰斗に反駁されるわけですから、その1/10000も論理整合に骨を折っていない巷の論理など、まず論理とは呼べない代物であると踏んで良さそうです。

その視点から見れば、ビジネス上での論理の優劣など、どんぐりの背比べに過ぎないように思えます。

誰か発言力のある人がそれっぽく順序立てて話せば、「すごい、ロジカルや、、」と舌を巻きたくもなりますが、これをちゃんと文字起こしをした上で吟味でもしようものなら、大した論理性などないことが殆どな気がします。

なので、論理的だなんだというのは所詮、巷のちょっとした差のことを指していると思えば、誰かに劣っていると思うことがあっても案外微々たる違いでしかないと思えそうです。

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