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13日間 - キューバ危機回顧録 (著)ロバート•ケネディ 中公文庫

読んでいる最中、ずっと背筋の凍るような思いのする、そんなドキュメンタリーの古典的名著です。

なんせ、場面はキューバ危機のアメリカ首脳部が苦慮に満ちた高官会議。

著者のロバート・ケネディ氏はJ.F.ケネディの実弟であり、キューバ危機の中にあっては司法長官としてこの会議に参加をした人物です。

世界が最もアルマゲドンに近づいたとあって、この会議は人類史上でも類を見ないほどシリアスな雰囲気に包まれ、更にはフルシチョフ率いるソ連の度重なるブラフや挑発行為によって、アメリカは毎日毎分と状況が変わる中、軍事行動に出るべきか否かという、無理難題を突きつけられていました。

彼らは知力と胆力を高度に兼ね備えた、素晴らしい人物たちであったことから、自説を曲げることを厭わず、常に柔軟な態度で議論に臨んでいたといいます。
何かと揶揄される文脈で使われがちな「会議」ですが、これだけの人物たちが難題に向き合う上で、腰を据えた会議ほど機能する方法は他にはないことでしょう。

実際、序列や立場を度外視した万機公論に決すべしとはかくや、といった調子で会議が展開されます。
これは、太平洋戦争の際に暴走した日本の陸軍司令部などが見せた非合理的、恣意的な姿勢とは好対照なものに映ります。

その中でも、冷静さにかけてJ.F.ケネディは抜けていたそうです。兄を格別に敬慕していたという著者の身内贔屓を割り引いたとしても、傑出した政治家という名声は多くから集められており、時代が彼を選んだことは人類にとって、この上ない幸運だったのかもしれません。

歩み寄りの態度を見せたと思いきや、キューバの新たな軍事基地に増員を送り、急ピッチで建設を進める動きを見せたり、ミサイルは配備したものの発射する構えは無いから安心すべし、とフルシチョフから電報が届いたと思いきや、加えてトルコの譲歩を求めてきたりと、ケネディはソ連の二枚舌外交に手を焼きます。

額面通り、挑発として受け取りケネディが応じていたとすれば、間違いなく第三次世界大戦の火蓋は切られていたと言えるでしょう。

その知的体力には頭がります。

また、この議論の中で侵攻がもたらす意味合いを、経済合理性から見た国益の面だけでなく、無辜の市民を殺害しかねないことが果たして許されるべきなのか、という同義の面からも長い時間をかけて検討されていたことに、過去のことながら心が救われる思いがしました。

そして、両国が和解に向かいつつあると思われた矢先、キューバの上空で米国空軍のパイロットが撃ち落とされたという電撃的なニュースが入ります。
さすがに、このセンセーショナルな出来事はソ連から発せられた好戦的な態度を表すものとして、軍事行動に出るべきだという声が高まりました。
ケネディはそのときグッと感情を押し殺し、この攻撃が果たして誤爆なのか見分けがつかない以上、次のアクションがあるまでは待とう、次があればそのときは、、という判断に至ります。
結局、ソ連から以降のアクションはなく、冷戦の終結に向けた対話が残されました。
ソ連が配備したミサイルはキューバから撤退されることになります。

ではいったい、何故ケネディはフルシチョフを信頼していたのか。
このことは長い間、歴史の謎として残っていたのですが、その後明らかになったのはフルシチョフとの往復書簡が実に100以上に亘っていたこと、その内容が単なる外交儀礼に止まらず、ときに詩的な表現を織り交ぜながら互いに敬意を払う文面があったそうです。
手紙を交わすことで、敵国の首相同士という立場を越え、1人の人間として繋がっていたことは、傑出した両者の資質と相まって、キューバ危機の平和的解決を達成しました。

本書から学び取れることはあまりに多く、教訓を安易に語るのも憚られるのですが、知力や胆力を磨き込んだ人間たちがいたからこその帰結であったという事実を知ることは、間違いなく生きる糧となると思います。

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