習慣化には向き不向きがあるのか

偏執的な性質を持つアスペルガー症候群のような方は、「これをしないと気が済まない」というような何らかの強いこだわりを持つわけですが、それが本人の利益に貢献しているかどうかはさておき、これもれっきとした習慣なわけです。

となると、習慣を身につけることができるかどうかはかなりの割合、先天性の問題になるのではないかと踏みたくもなります。
実際、几帳面さの度合いは多少の波はあれど、人生を通じておおむね一貫している気がするので全く関係がないとは言い切れない気もします。

では、元々が飽きっぽく、大雑把なタイプは好ましい習慣を確立させることが出来ないのでしょうか。

この問いには、強い確信を持ってNoであると答えます。

なぜなら、好むと好まざるに関わらず万人が習慣を持って生きている筈だからです。

たとえば赤信号を見れば止まるのも、他者を見かければ挨拶するのも、そこに社会規範に基づく文脈があるにせよ習慣の一つの形態であると言えます。

一方で、SNSをチェックせずにはいられなかったり、アルコールが手放せなくなったりという依存症の類は、モノやサービスの提供者が人間の欲求を巧妙にハッキングし、個人の身体に習慣という形で侵食した寄生虫のようなものであるとも取れます。

とすれば、この寄生虫をリバースエンジニアリングし、望ましい習慣にも同じような仕掛けを作ることができれば、充分に習慣を獲得することが出来そうです。

人間の脳には神経可塑性という性質が備わっていることがよく知られていますが、特定の行動を繰り返しに繰り返すことでその行動に対するハードルは下がり、いつしかクセづいてしまうという人体の理屈を鑑みても、習慣は後天的に獲得するものであると言えそうです。
同じ遺伝子を持った一卵性双生児であっても、シナプスのつながり方はまるで異なる無限のレパートリーがあるからです。
紛れもなく、それが個性となり、別の人間へと分つものでしょう。

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