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[達人のサイエンスを読んでみて(聴いてみて)]

今日は運転が長い一日だったので、Audibleで「達人のサイエンス」を聴いていたら、読み継がれるだけあってビシッと響くところがあったので書きながら考えてみようと思います。 昨今では「不確実性の時代」であることを論拠に、1つの物事を突き詰めることが称賛されにくい雰囲気があるように感じます。
ひとつのことに腰を据えて取り組むことよりも、時代の変化に柔軟に対応できるよう、たくさんのスキルや知識を身に着けるべし。読書も要約サイトを見れば十分、youtubeもショート動画が全盛ということで、仕事に限らず腰を据えて何かに取り組む、堪能する、ということの価値がないがしろにされている。
目につくエンタメはまさしく、この風潮を象徴しているように思います。
果たして、それは歓迎するべきことなのでしょうか。
本書は、何かを習得する際に最も大切な気構えとして「プラトーを楽しむ」ということを挙げています。
プラトーは減量でもよく使われる用語であり、停滞期を表します。
どうしたわけか、上達を「現象」として捉えると何事も線形的ではなく、停滞して成果が見えない横ばいの時期が必ず訪れ、それを乗り越えた先に習得、といういびつなグラフが描かれます。
これはもはや普遍的な現象であるというわけです。
なんにしても、最初は時間を投じるだけ上達がみられる楽しい時期であり、1匹倒すたびにレベルが上がるか弱いポケモンのようなものです。しかし、そうした初学者ボーナスの時期はすぐに終わりをつげ、むしろ昨日よりもパフォーマンスが落ちているのでは?という時期が必ず訪れます。プラトーです。
ここで、「まあ、そこそこ学べたからよし!」として学習を終了する。
これもこれであり、というのも一つの在り方として認めるべきなのかもしれないのですが、自分はどうか。
僕はこの本を聴くことで、自分はそうありたくない、と思い直すことになりました。
それは決して仕事の面からのみ考えたわけではなく、趣味にせよ人間関係にせよ、人生を彩る事柄すべてに当てはめてのことです。やっぱり、仕事も娯楽もちゃんと吟味してできる限りディープな世界をのぞいてみたいし、そうした人に魅力を感じるわけです。
ちょっと手を付けてうわべを楽しむような分野もきっと、今後の人生で度々あるような気がしますが、それだけで埋め尽くされてしまうと、生活の満足度が損なわれる予感は確かにあります。瞬間だけ切り取れば、ツマラナイ時間が大半であったって何の問題もない、ということでプラトーを浴び続けようと思いました。 プラトーを避けてつまみ喰いの刹那な甘美さばかりを求めていると、人生全体がかえってプラトーするのでは。

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