無観客によせて

無観客試合が行われている。世界各地で。


観客のいないサッカーに、どれくらいの価値があるのだろう。


たとえば音楽を聴くとき。

特に僕のような「音楽的知見」の全くない人間が、なにか曲を聴いて「良いなぁ」と思うとき。


僕が感銘を受けるのは、メロディラインの緻密さでも、研ぎ澄まされた音質でも、そのビブラートでもなく、それを聴いている「場」と「心情」が、音楽を媒介にして温度を持ったまま記憶されるからに他ならない。即興で作られた恋人の鼻歌や、旅行の車中で流れたラジオ、失意の夜に聴いた一曲が、その瞬間の心の動き、匂いや温度と深く連結されて、その個人にとって圧倒的に「大切な」音楽になりうるように。

そこには「質」や「品」の淘汰はなくて、ただ限りなく浅い見地に基づく嗜好があるだけだ。そして、もちろん、それでいい。誰にでも音楽を聞く権利はあるし、それを解釈する権利がある。

つまりその分野に専門性を持たない人にとっての芸術作品は、(意図するしないに関わらず)早々に作者の手を離れ、その受け手のフィジカルな「現実生活」との関係性の中で、価値がもう一度作られる。そうして曲(作品)は、それ自体がもつ固定された質を通り超えて、それぞれの関係性の中で「曲以上」のものになっていく(ことがある)。

これは読書にも絵画にも言えるし、食事や天体観測にだって、同じことが言えるかもしれない。


では、サッカーはどうだろう。

僕は、やっぱり同じことが言えると思う。

つまり無観客で試合をするということは、サッカーを、サッカーの試合以上のものにしない。選手にとっても、サポーターにとっても、そのままの行為としてサッカーが行われるだけだ。こうして「場」と連結しないサッカーが続いていけば、このまま選手が小さな液晶のなかを走り回るのが「サッカー」になってしまえば、いくら技術や戦術が洗練されても、それはどこまで行っても「サッカーの試合」であり、帰り路の興奮も、ハーフタイムのホットドックも、友好的ないがみ合いもないまま、心の特別なフォルダに入れられることなく、ぶつ切りで完結してしまう。

ちなみに僕個人は、無観客でもある程度サッカーを楽しんで見ることが出来る。それは僕が少しは専門的な知識を有して、観客ではなく審査員の椅子に座るような形で試合を観戦できるからかもしれない。(僕が専門家や審査員の資格を有するかという線引きは置いておいて)

けれどもちろん、サッカーは(スポーツは)一部のよく知っている人のためのものではない。


ビールを飲みながらヤジを飛ばすことが、お気に入りの選手が近くでいっぱいシュートを打つことが、声を枯らして叫びまくることが目的で、その「場」に来る人たちがたくさんいる。

それは僕が「なんか好き」という理由でエレカシを聴き続けているのとおそらく同じで、誰かに咎められたり卑下される筋合いは全くないし、その相互作用的なエネルギーに呼応して、ときに選手は想像以上のパワーを発揮する。そう、選手たちはそういう人たちに支えられた「場」が作るエネルギーに、ピッチの上で生かされている。言葉の上っ面の意味以上に。

断言できるけれど、無観客で開催してる期間の試合のどれかが、「生涯ベストゲーム」になる選手はいない。それは技術的な到達や、数字上の優劣以上に、その「場」が持つ相互関係に価値があるからだ。サッカー選手は、場に生かされている。

じゃあ、無観客なんか辞めちまえ、と言いたいかというと、それは全然まったく意図するところではない。というより僕はなにか異を唱えたいわけじゃない。

サッカーがサッカー以上のものとして、つまり元のような「場」として戻ってくるには、止めちゃいけないものがある。それは各クラブの経営であり、選手のコンディションであり、リーグを取り巻く環境であるのだから、無観客でも試合を行うというのは、現在取ることのできる最善の選択肢なのではないかと思う。


だけど、それが限りなく特権的に許された延命措置であることも、同時に頭に留めておかなければいけない。

僕たちは、あらゆる先人たちの努力のおかげで、「サッカーが素晴らしいものだ」ということを、痛いほど知っているし、当たり前に享受してきた。きっと世界中で何億人が、数ヶ月「場」を奪われたくらいじゃ消えない灯火を、この球蹴りに対して抱いている。それはすべてのスポーツに与えられた境遇ではない。これは暗黙の契約で、僕たちはいま、「サッカーが戻ってくる日」を信じることを試されていて、なにかを先払いして行かなきゃいけない地点にいるのかもしれない。そんなことを思う。

そしてこの「無観客」が長く続いたり、これからも繰り返されていくようなときこそ、「あの熱狂が帰ってくる日」を、意図的に、強烈に、信じないといけないように思う。サッカーをサッカー以上のものに出来るのは、観客席に座る僕たちであり、その中心を駆け回る選手であり、ひとりひとりの自由な心の動きだけなのだから。


なぜか急に無観客について書きたくなって、殴るように書いたので、そのうち消すかもしれませんが、とりあえず私はエレカシを聴いて寝ます。おやすみなさい。





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