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2022

2020年に指導者になって、3年目が終わりました。

家族を連れてきてまで、コロナと戦争と(物理的に)これだけ近い国で挑戦を続けた時間は、僕にとっては長く重たく、同時に『何のために?』を自問し続ける時間でもありました。だって意味わからん。日本帰れよ。

認めてしまえば、そこから「ジブン!海外で!頑張ってマス!」みたいな自己陶酔を引いてしまえば、そこに意味などひとかけらも残っていなかったのかもしれません。

チームにはウクライナからの難民選手がいました。彼は戦地から避難せざるを得ず、不本意ながらもこの土地に辿り着き、帰る家を持たないまま、サッカーをすることで新しい場所にコミュニティを築こうとしていました。

一方で僕は、日本という恵まれた国に帰る家を有しながらも、わざわざその場所を離れて、家族まで連れてきて、戦地に近いこの土地に留まり、サッカーを教えている。

なにがしたくて、なにが大切で、なにを優先するべきなのか。なにか大きく順序を間違えていないだろうか。自分の人生にとってサッカーとは。

とにかく、惰性や慣性だけで駆け抜けることはできませんでした。その度に、家族が何度も僕の代わりにアクセルを踏んでくれました。ありがとう。

そして、不安定なくせして淡々と続く日々の中に、現実的で、継続的な、『グラウンドに向かう意味』を与えてくれたのは選手たちでした。僕が欧州で指導者をスタートすることに決めたのはUEFAライセンス取得のためでしたが、ギラギラした選手たちの前では、僕自身のキャリアみたいなものは、たいした役割を持ちません。選手は馬鹿ではないので、己のためだけにやっている人間をすぐに見抜きます。

オフシーズンに、自分の将来とキャリアを真剣に考えることは大切です。けれど、一度決めて、始まってしまえば、目の前の選手、次の練習よりも大切なものはありません。

そして、こうした自分自身の気付きを通して、現役のときに僕に接してくれた指導者の方々がどれくらい「自分の成長に懸けてくれていたのか」を再認識しました。満点では応えられずにすいませんした!という気持ちと、そのぶん僕が次の世代に送ります!という気持ちです。時間は反対方向には進まないので。

さて。だらだらと文章にするよりも、自分がいま感じていることをそのまま残しておきたいので、最後の練習後にもらったメッセージと、今季のいくつかの写真を載せて、僕のラトビアでの3年間に一区切りをつけたいと思います。

Paldies!
これからも頑張ります。

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