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マイケルジャクソンに憧れた少年がベガスでマイケルのダンサー達に褒められるまでの話①

ずーっと、好きなことしかしない子供だった。折り紙が嫌いで幼稚園に登園拒否し出した辺りから、そのわがままの片鱗を見せ出した。聞き分けのいいようで、実はヤバイというなんとも厄介な子供だったと自覚している。

そのヤバさは、11歳の頃にある出会いによって開花する。

マイケルジャクソン。

名前こそ知っていたものの、洋楽に無縁の家庭で育った自分にはあまり接点のない存在だった。当時急死した彼の姿は、至る所で目にした。ディズニーランドで彼がアトラクションになっているのを目にした時、僕は観念したように「キャプテンEO」を観に行っていた。

マイケルが雄叫びを上げて踊り出した瞬間、身体に稲妻が走った。

あの衝撃を超えるものは、もう人生で味わうことがないとも思う程。強くて眩しい体験だった。"Another Part of Me"が流れる中、アトラクションを後にする。その頃にはもう、マイケルのことしか考えられていなかった。頭上に上がる花火ですら、さっき観たマイケルの輝きを超えることはなかった。


それからというもの、流行りのJーPOPはめっきり聴かなくなった。学校に行く前から眠りに落ちる寸前まで、彼の音楽ばかり聴いていた。そしてまた、彼のダンスが観たくなった。お年玉で"Moonwalker"というDVDを買っては、家族が嫌がるまで観続けた。殆ど嫌がらせのように毎晩、リビングのテレビを独占していた。そこでまた運命を変えたのは、後半で登場する”Smooth Criminal”のダンス。それを観てから、今まで踊ったことなど一度もなかったが、気付いたらその振付を学んでいた。何故か、「学ばなければならない」という思いすらあった。そこからはもう、友達も家族も呆れるくらいにマイケルをどこでも踊っていた。とにかく、マイケルになりたかった。踊るつもりがなくても、彼の音楽を聴いていたら勝手に身体が動いていた。何足もの靴下に穴を開けた。マイケルみたいに指パッチン出来るようになりたくて、練習し続けたら中指の皮膚が割れた。クラスの女の子からドン引きされた。

そんな生活が中学校を卒業するまで続いた。特にダンスを習いたい訳でもなく、ただただマイケルになりたくて。マイケルの本しか読まないことを見兼ねた担任の先生から注意されても、全く気にしなかった。とにかく夢中だった。


「高校受験」という言葉を毎日聞くようになると、地元の高校に行って、ダンスを始めてみようかなとぼんやり考えるようになった。それを母に話すと、「本当に行きたいのはそこなのか」と聞かれた。そんな訳はない。本当に行きたいのはマイケルのいた国、アメリカだ。英語を話せるようになったら、マイケル研究も捗るに違いないと思っていたし。そんな思いを母に話すうちに、あれよあれよと高校留学の話は進んだ。気づいた頃には、英語の猛勉強を始めていた。


留学したのはアメリカのど田舎、バージニア州。日本人は自分しかおらず、ろくに英語も話せないから友達もできない。そこで助けてくれたのは、またマイケルだった。彼の曲がかかれば踊っていたし、気づけば周りにいた人と友達になっていた。三年間の異国での日々は、自信を与えてくれた。ずーっと踊っていたし、気が付けばタレントショーに出て、小さなダンススタジオでクラスを教えていた。好きなことだけを、ひたすらやっていた。

この時はまだ、マイケルと一緒に踊っていたダンサー達はスクリーンの中の人達でしかなかった。会いたいとか思う以前に、そんなことが可能とすら思っていなかった。ただただ楽しくて、マイケルみたいになりたくて、ひたすら踊っていた。その時の経験が、帰国した自分の糧になるなんて思ってもみなかった。

続く。

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