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暇の無限性

こんにちは😀
九月しばらく投稿できていませんでした。
少し落ち着いたので、九月に考えていたことをまとめてみようと思います。

以前、『今大学生としてやるべきこと』という投稿をしましたが後編はまた改めて…

目次

1.私の九月
2.何を考えたか
3.今後どう生きたいか

1.私の九月

私の九月のスケジュールは、
1〜3日は鳥取で、研究と地域の運動会に参加。

9月3日、地域の運動会に参加

4〜15日にかけては、地元の三重県志摩市でお世話になっている漁業関係の企業でインターン

インターンの作業はほぼ毎日海の上でした



中日の13日は名古屋であった
News Picks:RegionのRe:invent Japan's centralという地域経済カンファレンスに参加

名古屋のミッドランドスクエアにて

16日〜18日は休暇だったので、パートナーと共に福岡、大分へ。

大分別府で地獄めぐり

19日は京都に移動して、ぶらっと京大と鴨川デルタへ。

ぶらっと京大へ


19〜22日にかけては埼玉浦和の三越伊勢丹で出店した、『八頭マルシェ』の販売員として勤務。

百貨店にて初の販売員

23〜25日は三重にて、WSとオフを満喫。

WSは貝殻など自然の物をつかった万華鏡作り体験

26〜28日は鳥取にて本業の大学に戻ったものの
29〜30日は東京にて、News Picks 第4期Student Pickerの最後の活動、第5期へのバトンタッチ会と、自分たちがプロデュースした学生イベントの開催。

Uzabaseのオフィスにて

というわけで、鳥取→三重→名古屋→三重→福岡→大分→京都→埼玉→三重→鳥取→東京
と、飛び回り
約3週間程度ホテル暮らしが続きました。

夏休みに考えていたことは、
大学の中では得られない経験と学びを得に行こうということでした。

実際、インターンや販売員は大学に通っているだけでは中々できない経験で、
様々なことを考えました。

それと同時並行で、三重でのWSと東京でのイベントの準備をしていました。

仕事量はそこまで多くなかった(?)はずでしたが、毎日平均睡眠時間が5時間程度で
普段7時間近く寝る私にとったら中々疲労が抜けきれず、頭が冴えない日々が続きました。


2.何を考えたか


これだけ飛び回っていて、常にタスクを抱え込んだ状態では
自分と対話する、研究する、読書する時間や余裕はなく、

『これでいいのか』

と考え込む時がありました。
その際に考え抜いたことは

暇の無限性

ということでした。
元々"暇"という字には、無限という意味も含まれ、
また学校という意の "school"も
ギリシャ語の『暇、余暇』という意味の
Skhole(スコーレ)からきています。

また先日この飛び回っていた時に読んでいた本は
國分功一郎先生の
『暇と退屈の倫理学』でした。

『いや、皮肉すぎるやろ!』
という感じですが
やはり暇こそ人間を豊かにしてくれるものだと思いました。

暇と退屈があるからこそ、自分と対話でき、本を読んで知見を広げ、教養を深めることができます。
しかし、人間というものは
暇と退屈を嫌います。

なぜなら、
今に不要なことを考えてしまうからです。

言い換えると、
忙しくしているほうが自分の人生や物事を考える必要がなく、言い方が悪いですが
単に毎日あくせくと働いているだけで人生という暇つぶしの時間を消費できるからです。

しかし、考えたのは
本当にこれが豊かな人生だと言えるのか。
仕事に追われた人生で、死ぬ時に
『あぁいい人生だった』
といって死ねるか。

と忙しない日々の中で考えていました。

毎日決められた官僚的な仕事をし続け、
やりがいを得られるか?
人生楽しいと心の底から思えるか?

個人的にはカフカの描いた
カフカエスクの世界だと思いました。

日々、複雑な社会で人生を搾取される
そんな生き方。

僕には到底無理です。

3.今後どう生きたいか

この九月、いろんな経験と時間を通して今後どう生きたいかというのをめちゃくちゃ考えました、本当に思い詰めるくらいに。

例えば、イベントを準備している際も
パワーポイントを作ったり、
企画を考えている際、
また普段からニュースを見ていても
『まだまだ何も知らないし、できないことが多い』

こんな自分で本当に将来、社会で生きていけるのか?

今思えば考えるだけ無駄であり、そしえ絶望に近い自己否定に陥ってしまっていました。
つまり自分の軸を失っていました。

また都市で仕事をしていた分、都市と地方の差、例えば技術や時間の流れ方、生産性の違いを日々感じ、
将来、どんな人生を歩むべきなのだろうかと考え込んでいました。

これらは暇がなかったからこそ、自分の人生について立ち止まって考えることができていなかったせいだと思います。

自分に問いかけていたのは、
まさに七月にロードショーされた

『君たちはどう生きるか』

つまり

『自分はどう生きるか』

ということ。

これを考えることこそが哲学であり、人類が生まれてから永遠に解決できない命題だと思います。答えなど出るはずはありません。

私たちは生まれながらにして、矛盾を抱えています。
それは、生まれたのにいつか必ず死ぬということ。まさに諸行無常、諸法無我です。

唯一この矛盾に答えを出すとするのであれば、
私はこう答えます。

『どう生きるのかを考え続けること』

であると思います。

大切な人との時間も人生を深める大切な時間

しかし、そのためには
自分と対話する、本を読んで教養を深めるための

時間や暇が不可欠。

暇というのは怖いものではなく、人生を豊かにしてくれるものだと思います。
今現代において、この暇は悪とされていないでしょうか?

仕事ばかりで忙しい人生も否定はしません。

ですが、僕は『どう生きるかを考え続ける』ことができる暇がある人生を望みます。

今、大学生という
ある意味社会のモラトリアムに私はいます。
このモラトリアムを存分に生きて、この哲学的命題を無限の力に変えられるように
考え続けたいと思います。

#暇 #人生 #ワークライフバランス
#時間


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