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曽祖父が残した謎の写真 - 巡巡 #009

以前記事にした(東京市四谷区仲町壱番地を見つけたい - 巡巡 #006)四谷区仲町生まれの曽祖父吉田清夫は平成8年に90歳で亡くなりましたが、写真が好きだったようで大量の写真が遺品として遺してくれました。その写真は旅行や日常風景、家族との写真など約200枚ほど。現代で言うスマホで撮るかのようにフィルムを消費したことでしょう。

先頃祖母からその写真が僕の手元にやってきて、全てスキャンをしました。家族以外の人が誰なのかよくわからない写真ばかりだったのですがいくつかの写真の裏に「清夫母はつ」など書いてあったりします。

その写真たちの中でちょっと気になる写真がありました。裏には何も書かれておらず詳細は不明、ただ母親や親族の写真と同じ束にまとめられていたが何かしら意味があるのか?ないのか?その写真がこちら。

曽祖父の遺品の写真から

※色々考察をしてみたのですが、例えば全くの見当違いでこの方が当時の役者や著名人の方だったらごめんなさい。

清夫の持っていた写真は主に戦後の昭和20年代後半あたりから昭和60年までの写真が多く、清夫本人が撮っているというより本人が写っている写真の方が多いかもしれない。母曰く「自分が好きだった」とのこと。

自分が撮った、撮ってもらった写真の他には人からもらったであろう写真も束で入っていた。上記の写真はその中に入っていたもの。人から譲り受けたものに関しては撮影された年代は保存状態や色褪せ具合などから戦前のものなのでは?と思った。特に上記写真は古そうだけど保存状態は良く、気になった。

年齢は50から60くらいでしょうか。スラっとしていて上半身のみですが背は高そうなイメージはあります。髪には整髪の油を使っているように見えます。

着用している紋付袴の家紋を見てみると「丸に違い鷹の羽」でしょうか。吉田家は蝶紋を使用していたので吉田家の人ではない?それか特に紋に意味はなく「通紋」のような形でこの袴を着ているのか。「丸に違い鷹の羽」といえば大河ドラマで薩摩の西郷さんもつけていました。近年の西郷吉之助が登場する作品でも「丸に違い鷹の羽」の紋を使用しているシーンをいくつか観ました。ただ「翔ぶが如く」ではつけていませんでした。島津家の「丸に十の字」の紋と「抱き菊の葉に菊」の紋は使用していました。関係があるとしたら鹿児島の吉田家の繋がりという線も…?

つぶれた「丸に違い鷹の羽」?
某西郷どんにて

もう一つ気になったのが「眼鏡」。フレームがべっ甲ではなくて金属っぽい、色はわからないですがニッケルもしくは真鍮でしょうか?今でもありそうな西洋風の形をしています。(ジョンレノン的な)ツルの部分も耳までかかっているように見えます。鼻を固定する金具がないように見えるので、輸入されてきたものの可能性も。明治中期にはこのような巻きツル式の眼鏡があったそうなので、それ以降の年代の写真なのでしょうか。

巻きツル式眼鏡か

色々考えてみましたが現状よくわからず、個人的には仕事のお師匠さんやお世話になった人なのかなと思っております。母や祖母も知らないとのことでした。

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