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羽田空港の展望台、最初の記憶 - 巡巡 #001

1980年11月、僕は東京の大田区に鈴木好春・育子の長男として生まれました。最初の記憶は羽田空港で肩車されながら「父に飛行機のおもちゃをねだってる」という光景をよく覚えています。というより俯瞰で見てる姿が出てきます。あまりモノをねだったりする方ではなかったようなので、そのことが記憶に残っているのかもしれません。

展望デッキ

両親は幼少期からずっと大田区で育ったので、昭和30年くらいからの空港の拡張をずっと見てきたのでしょう。父方の祖父は羽田空港のことを「エアベース」と言っていたので調べたら米軍から返還前までは「ハネダ・エアベース」と呼ばれていたらしいです。

羽田へのモノレール

飛行機に乗らずとも空港という場所が好きで先日も行ってきました。学生の頃に家から自転車で空港まで行きました。天空橋から大鳥居を通ってターミナル付近までの何もない広大な敷地が好きでした。今はコロナ禍で飛行機の本数も少なく、平日だったため展望デッキの人も閑散と…。最初の記憶はこの展望デッキのあたりかな。

広大な敷地

そんな肩車をしてくれていた父は闘病の末2020年に亡くなってしまいました。肺ガンだったので最後はかなり苦しそうでした。合掌。

ジョーカー的な出立の父


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