祖父がいた昭和30年頃の浅草の写真 - 巡巡 #005
靴職人だった祖父吉田博俊が祖母と結婚した時に住んでいたのが浅草の橋場。当時は旧都電の路線が橋場まで伸びていたらしいので良かったが、現在は交通の便が悪く浅草と言っても訪れることはあまりない場所です。近くには白鬚橋や石浜神社があります。祖父は橋場の靴職人イケさんという方を師事していたようでそこで働いていました。昭和33年に祖母と結婚の後、母育子と妹俊美が誕生。写真はその頃のものが多く、浅草橋場周辺で撮られています。写真は昭和33年ごろの玉姫稲荷神社通りではないかと思います。
住んでいた(上記マップ赤い部分)借家は2階建ての今で言うアパートで、門があったが、部屋は畳何畳というような狭い部屋でした。祖母曰く当時(今も?)この橋場周辺にヤクザさんが住んでいて、ご近所付き合いしていたようです。写真を見ると何度も同じ話をするので余程印象に残っているのでしょう。
下の写真1(母育子)の場所がどこだかわからないようで僕も調べてはみたのですがいまだわからず…。このお寺?でよく遊んでいたようです。写真2は謎の遊具の公園。
昭和33年橋場にスーパーシマダヤが出来て、祖母はよく買い物に行っていたと言う。シマダヤは少し離れた日本堤に今でもあるようだがもしかしたら、祖母が言っているのは橋場近くの橋場一丁目の十字路、くすりの福太郎の向かいの閉業している店舗(2号店と書いてある)なのかなと思ったり。宝山堂という和菓子屋さんのことも話しているので当時からあったのではと思います。昭和40年頃まではこの浅草橋場周辺に住んでいたそうです。
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