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正月三が日、あれこれ

昨日(1月2日)の夜、急に映画が観たい欲求に駆られ、NETFLIXで「Don’t look up」を観た。スマホで。
おかげで、今朝、寝坊した。

結論から。
素直に面白かった。(語彙…

デカプリオ、恰幅良くなったなぁ。
とか。
女性大統領にメリル・ストリープが違和感なくハマっているのは、プラダを着た悪魔の影響かもしれない。
とか。

なんだろうなぁ。
この映画は、シリアスなのか、パロディなのか。
いろいろ、シニカルな描写が散りばめられているので、いろいろ考えさせられる。
ここはちょっと極端にパロディだなぁ。
ここは妙にリアルだなぁ。
とか。

一番関心がいったのは、超大国アメリカは総じてそこまでアホじゃないだろうって観ていた。
でも、人ってのは時々、本当にアホをやらかす。
(過去、日本が戦争を始めたのも悪手だと思うのは戦後教育の賜物か。)
映画では自然なようで、違和感もありつつ。
そういうところも含めて、考えさせられて面白かった。

その後、なぜか「機動戦士ガンダムII」を観だしてしまい、セイラさんやアムロくんが、ちょいちょい規律違反をしてて、ブライト艦長の気苦労を思ったところで、寝落ちしてた。
で、寝坊につながる。

ところで、年始休み3日経つが、ゲームをしていない。
去年「ゲーム三昧で正月を過ごす」と豪語したが、そんな計画そっちのけで、違うことをしている。正月早々「有言不実行」という悪癖が出てしまっている。

代わりに、散歩へ行ったり、読書したり、iPadを使って落書きをしていた。
ゲームやっているよりは、少しまともに休みを謳歌している。(という、言い訳をまずしておこう。)

何かをやっていれば、何かを考える。
何かを考えていれば、何かをやる。

「動」と「考」は、セットになっている。
去年、そうして過ごしてきたことが(今のところ)良いサイクルを作っている。

ゲームはやりたいと思っている。
しかし、今のところ、ゲームをやることよりも、インプット、整理、アウトプットをぐるぐる回している方が面白かった。

ゲームが入る隙が無い。
故に出来ていない。

ゲームと言えば「任天堂-驚きを生む方程式」を読み終えた。

任天堂は日本企業の中でもイノベーティブな企業だと思う。ゲームは生活の中で必須なことではない。全く無いと人生は楽しくないが、全く無くとも生活はできる。

そういう生業をしているので、常に消費者の「飽き」と戦わなければならない。必需品では無いから、どこかで安くしなければならないし、キラーコンテンツも持たなければならない。裾野も広げておかないとプラットフォームが育たないので、インディーズエリアにも気を配る。コアファンを掴んで囲う必要もあるだろう。子供から大人、老齢な人まで幅広く認知される必要もある。
ともかく、常に工夫し続けていないと残れない厳しい業界だと知った。

少し、見聞きが変わるが、だいたい成功している企業は過去に大きな失敗をしている。(任天堂は、ゲームキューブとニンテンドー64でPlayStationの後塵を配しているとのこと)その失敗を改善し、負債解消する機動力がないと生き残れない。生き残れているから、成功している結果だけが見える。
失敗した企業は、破産という結果を持って敗者として語れる。その勝者と敗者の違いを徹底的に調べた論文や書籍はたくさんある。(そうした知見を持ってコンサルタントという職業も成り立つのだろう。)

いつも思うのは「その成功は、必然的だったか?」だ。
すごいリーダーシップを持った人がいて、その人の特徴的行動による、たまたまな結果だったのではないか?
たまたま時代と合った偶然性によるところがあるのではないか?
という目線でビジネスを考えている。

いろんな業界にいろんな企業があるが、生き残っている企業には生き残る理由がある。
今を生き残ることと、未来を生き残ることと同じではない。
総じて感じるのは「偶然も必然も、両方が無いと生き残れない」という理由にいつも帰結する。
この二つは因果関係では無く、対として持ち合わせている要素なのだろう。
だから生き残れていると思っている。

勝者と敗者として分つのは、常に改善を正しく続け、世の中の潮流を読めたモノ。チャレンジして苦悩し、その中でつかむ原石を技術と工夫で磨いた中から売れる価値が生まれる。最後は、それを楽しんでいる人が生き残れている気がする。
それは、企業(組織)でも個人でも一緒だ。

任天堂は楽しんでいる。
楽しまないと、ゲームをやる人が楽しめない。

ところで。
わたしの人生は、常に失敗の連続だ。
蒸し返すようだが、今年、既に「ゲームをして三が日を過ごす」という計画に失敗している。
しかし、結果的にゲームは出来ていないが、運動し、読書し、考えての健康的サイクルは回った。
それはそれで充実した楽しい休日になった。

計画通りとはいかなくとも、楽しく過ごすことができた点においてこの三が日は良かった。

年始の休日というのは、唯一、区切れる休みだと思う。
他の連休はその年という枠組みの中で連なっている。地続きな連休だ。

一旦、年を区切るからこそ得られる時間がある。(そういう時間があるだけでも本当にありがたい。)
そういう時間に、年の目標を定め、インプットとアウトプット、そして思考の整理が出来たのはよかった。

明日が年始休みの最終日なので、ゲームをしようと思う。
屁理屈を捏ねまくったが、結局、負けず嫌いな側面が露わになった。

本当に、素直じゃない。

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