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ていねいに生きること

松浦弥太郎さんの「今日もていねいに。」という本が好きです。

生活の中でいかに正しく向き合い「ていねい」に送れるかは、
その人の行動の全てにつながると考えています。

結城浩先生のマガジンを購読しており、#407を読みました。

この記事の中で「人間関係と『無知の知』」についての回答に共感したので引用を含めながら、自分の理解を深めていきたいと思います。

結城先生は、回答の中で「人間は不完全なものである」を前提に、

人間は能力が限られています。その意味では人間は浅はかなものともいえます。でも、だからこそ、間違いをおかした人間に寛容になったり、うまくいかない人間を助けたり、失敗した人間を励ましたりするわけですね。

と語りかけ、結びに、

そして不完全に安堵すると同時に、どんなにささやかなものでもいいから「これは素敵だ」と思うものを見つけたら、それを丁寧に扱いたい気持ちも湧いてきます。(中略)でも、現在の私はこれを素敵だと思う。だから現在の私はこれを丁寧に扱いたい。そんな気持ちです。

と、述べています。

私は「無知の知(知らないということを知っている)」について、
すごく極端ですが「他人より自分が一番信用ならない。」と思っています。

これは自分に対する戒めの言葉であり、どこかで自分に納得がいくように
調べたり、確認するための査証の言葉でもあると考えています。

強い言葉なので、全ての人にオススメできませんし、その言葉から失敗することもよくあります。
(つまり、自分を追い込んでしまうこともしばしばです。)

つい表向きに目がいってしまい、考えが深くいたらないことが多いので、
この言葉を戒めとしています。

そんな中で、結城先生の「不完全に安堵すると同時に(中略)それを丁寧に扱いたい気持ちも湧いてきます。」という一文に救い、安心、共感を
覚えます。

自分が信じられないと思うのは、戒めの言葉とともに、
どこか安心の言葉でもあるのかも知れません。
アイデンティティというか。信じられないからこそ、ていねいに自分と
向き合い、自分を認めている感情につなげている感じです。

***

そんな結城先生のメルマガをみた後に、TwitterでLyustyleさんのツイートを
みて、なおさらに納得がいきました。

ここでは生きることについての「今」の意味合いを述べていますが、
「今」を大切にするこ言葉の先に、不完全を認め、
自分を許したり、律したりして、次に向う力になったりするのだと
感じました。

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こうした気持ちのリレーションが Twitterというコミュニケーションツールをとおしてつながっていくことに奇跡を感じています。
では、また。

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20200114:新規作成
20200118:追記修正、記事投稿
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