「あの時に戻りたい」って思うことありますか?

どうも。とにかくカッコよくなりたい清水です。
理想の過程は、小栗旬のような大人になり、竹野内豊のようなおじさんになることです。

今回のテーマはこれ

#部活の思い出

です。

中高大と陸上部に所属しているので部活の思い出なんて腐る程あるのですが今回は中学生時代の思い出を書いていこうと思います。


はじめに

タイトルにあるように、「あの時に戻りたい」って思うこと誰でも1つくらいありますよね?
僕は1つだけあります。
思い出というより、後悔といった方がいいのかもしれません。
そんな後悔を中学時代を振り返りながら書いていこうと思います。


弱小陸上部に敏腕顧問が

小学生時代から少し足が早かったので
中学では迷わず陸上部に入ったわけなんですが、
少し治安の悪い中学校だったため、
先輩たちはまともに部活やってないんですよ。

当時の顧問もやる気はあんまりない感じの人で、
そんなこんなで僕の1.2年次の陸上人生は大した結果も残さず終了(本当は色々ありましたが今回は割愛)。

そんな僕に転機が訪れたのは2年生の3月、ちょうど3年生になる前です。
市内では有名だった中学校から新しい顧問が来たのです。

「まずはこの中学で一番活気のある強い部活にする!」
女の人とは思えない気合いで僕たちにこう啖呵を切って来ました。

陸上ってこんなにキツかったのか、、、
と練習を辞めたくなるほど厳しいメニューが始まりました。

元々少しセンスのあった僕はぐんぐんタイムを伸ばし、6月の市大会で大幅ベストを出すと部として10年振り以上の県大会進出。
そのまま夏の県大会でもさらにベストを出し、天狗状態。

走れば走るほどタイムが伸びるのできつい練習も楽しかった。
ここまでは至って順調なお話ですよね。
僕が思い出に残っているのはもう少し後の出来事です。

**スパイクのテープ

**

9月に総体という大きな大会があります。
負けたら即引退の中学陸上人生の集大成のような大会です。

もちろんチームのエースとして100mに出る僕は、
「まあいつも通りのタイムが出れば決勝は余裕だろ。」
と高を括っていたし、顧問もチームメイトも特に心配はしていませんでした。

当日の天候は土砂降りの雨。
コンディションとしては最悪ですが、みんな同じ条件なので不利というわけではありませんでした。
予選は20組以上あり、決勝に進めるのは上位8人県大会に進めるのは10人。
組で1着になることは必須条件でした。

僕の組が呼ばれ、レーンに入る。

on your marks
スターティングブロックに足をかけ
set
上体を軽く前傾させながら起こした時、あることに気づきました。

スパイクのテープが剥がれてる。。

当時僕が履いていたスパイクはテープを3本貼り付けるタイプでした。
強い雨でテープの粘着が少し弱まり、剥がれていたのです。
当然、このまま走ればスパイクは緩み、最悪脱げる可能性もありました。

パン!

雷管の音が聞こえ、反射的に体は動き、気づけば走り出していました。
とにかく1着に入らなきゃ、、
スパイクの違和感を感じながらも走り続け
なんとか組1着でゴール。

しかし電光掲示板に映るタイムは自己ベストより0.2秒以上遅いタイム。

0.01秒

0.01mmではありません。
0.01秒です。
僕は100mを専門としていたので、0.01秒を争う世界で戦っていました。

その世界で0.2秒というタイム差はかなり大きいものでした。
ゴール地点で待っていた顧問の顔は険しかったものの、

「まだわからない。全体的にどの組もタイム遅いから。」

その言葉を信じて、放送で流れる速報結果を1人待った。

「男子100m競争予選の結果を放送します。1位…2位…」

始まった。このタイムで8位の決勝は厳しいことは分かっていた。
狙うは県大会進出の9.10位だった。

「10位、○○秒〇〇」

このタイムを聞いた時、涙が止まらなかった。
僕のタイムは0.01秒足りなかった。

中学の陸上生活が終わった瞬間だった。
あとたった0.01秒早くゴールできていれば。
もしあの時、外れていたスパイクのテープを貼り直していたら。

あの時の感情は今でも思い出すし、少し後悔のような気持ちもあります。

だた、あの悔しさがあったからこそ
高校に入学した後も陸上を続けたいと思えたし、
大学に入ってからも陸上が大好きな変態になることができた。

という僕の  #部活の思い出  でした。



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