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血液型占いの真実|おめざブログ

「血液型占いのルーツは、戦時中の日本軍の研究だった」と聞いたのは、大学の授業でだった。優秀な軍人を手早く育てるために、血液型で傾向を測定したのが始まりだった、とかなんとかそんな話だったけれど、真偽のほどは知らない。どっちにしても血液型占いは信じていない。血液型占いにはちょっと持論があるので、今日はその話をしたいと思う。結論から言うと、「人には何かを信じたい願望があって、真実はどうでもいい」ということになる。

まず、血液型占いの会話は「〇〇さんて、血液型なに型?」という質問からおおよそ始まる。そのとき、知り合って少し時間が経ち、お互いのことがちょっと知れた状態だとする。質問された側は、なんでもいいが例えば「B型」と答えたとする。そのときに想定される質問者のリアクションはふたつに絞られる。「だと思ったー!」か「そうなんだ、意外ー!」のいずれかである。

「だと思ったー!」パターンの場合には、血液型占いのなかでのB型の典型にいくつかはまっていると思われている。その際に、B型の典型がいくつあって、どれだけ当てはまっているかは問題ではない。ただなんとなく、自分のなかでB型らしさがあればそれでいい。

「そうなんだ、意外ー!」パターンは、血液型占いの問題点が如実につまっている。このリアクションをした際には、質問者の頭のなかには他の血液型の典型が想定されていたことがわかる。しかし、ここで「血液型占い」そのものへ疑問へたどり着くことはまずない。「意外ー!」と言う人にとっては、B型であるのにB型らしさのないその人が、血液型占いの典型からはみ出た珍しい人、ということになる。B型であるのにB型らしさのない人がいたとき、血液型占いそのものが当たっているものかどうか、疑問をはさむ選択肢もあるのだ。しかしながら、いやまあ当然のように、ここで疑問をはさむ人にお目にかかったことはない。

「そうなんだ、意外ー!」パターンのあとには、「A型だと思った」パターンや、「そう言われるとB型ぽい」パターンの会話もあるのだが、ここでは割愛する。上記で見てきたように、血液型占いの会話をする際には、血液型占いそのものへの疑いはまったく出てこない。根拠はなにひとつもないのに・・・。むしろ目の前の「A型ぽい性格のB型」の人がいたとして、そっちの方が真実じゃないですか?そんなことをもう10年以上考えてるんですけど、これまで言ったことはないです。理屈ぽいて言われるの嫌だし。

日曜日の遅い朝が始まりました。「ただの会話の糸口ですよ」と言われたら、それでおしまいだけどね。


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