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かさぶた日記 -あなた誰ですか?-

まるで自分の意思とは関係なく、
起き抜けにカーテンを開けている時の僕は
一体誰でしょうか?



ある朝ベランダから見える駐輪場に
1匹のネコチャンが居た。
それからはネコチャンの為に
起床する毎日が始まった。

ネコチャンが居ればしばらくぼうっと見つめる。
四つのマンションが向かい合った
中心に駐輪場がある、敵ボスの幹部会議のような
構造になっているので、その中に組み込まれた
自分を俯瞰するとたまらなく恥ずかしくなる。

急いでその場を離れた。

パソコンに電源を入れる。

立ち上がるまでにコーヒーを淹れる。

この暮らしが始まってから
最も洗練された動きのひとつだ。
変わったことといえば手動のミルを
電動に変えたことくらいか。
昔は手で豆を挽くことに拘っていたような
気もするがあまり覚えていない。
機械化によって損なわれたかもしれない
情緒や何かについて、考えるべきだろうか?


約一月前に「かさぶた日記」という企画を
打ち立てたわけだが、更新が遅れてしまった。
振り返ってみれば今まで
僕自身が膿を体外に出してこなかったため、
書けないのは当然といえば当然なのかもしれない。

もちろん他者の援けは受けていたはずだし、
かなり迷惑をかけていることは承知しているが
何も思い出せず、ただ、忘却している。


コーヒーは薄くならないように
真ん中から円を描くようにお湯を注いでいく。
一回注げば皿を乗せて蒸らし、
あとは二回に分けて一定のテンポで淹れる。

一定のテンポで淹れる。。

何かに向き合えるということは最高だ。


コーヒーと僕だけの世界が霧散すると
突然、天井を叩く音が聞こえてくる。
僕はさっきまでその音が聞こえなかったことに
満足し、安堵した。

部屋が少し暗くなった気がしたので電気をつけた。
やけに近く感じる照明と、薄ぼんやりと発光する
視界は雨が連れてきたのだろう。

雨の日は、夢の続きだ。


自分の中から小出しに傷を見せて
今までと違う方法を取ろうと思ったが、
結局はいつも通りになってしまった。
携帯のメモには乱雑な走り書きが散見され
今見返すと全く意味不明な、
完全に何のコントロールも効いていない
衝動のようなものだけが残っているのに。

マイナスな感情も、それをなんとか生産性のあるものに
昇華しようとする営みの跡が残るだけで、
自分ではない誰かを見ているようで、
自分が恐ろしくなる。

何かを確信した瞬間に
「見えなくなるもの」が生まれることが怖い。
昔は「正義感が強すぎてウザい」「芯が強い」
と言われていたことを覚えているが、
それは無知ゆえであって、
視点を多く持てば持つほど
ここで言う芯は僕からなくなっていった。

だから柔らかい芯を持ちながら、いろんな所を
行き来できる人って本当にすごい。

誰かといるときも、一人の時も、
全て自分ではあるが
決して犯されないと思っていた、自己愛という
本人格が自身によって脅かされる事態。
ひとつのことから負の連鎖的に思考が進んで、
まるで全てが繋がったように自分を否定しにかかる。

これだけ悩めば人に優しくなれそうなものだが
一向にその気配はなく、本当に矢印は自分にしか
向いていないんだなと思ってしまう。


駐輪場のネコちゃんは、部屋を出て行かなければ
直接関わることはないだろう。

だからかもしれない。

僕はネコちゃんを容れ物として
その背景を見ようとはしない。
そのほうが絶対楽だし何も変わらない。
知らないことは幸せなのかもしれない。

でもそれだとその先にはいけない。

多分ネコちゃんは僕の鏡であり、ドクターだったのだ。


外では鉛色の雲から途切れることのない
連続した糸のような雨が無数に垂れて
空間を埋め尽くしていた。


ネコちゃんはもういない。












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