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砂ひとつとっても、その子の感受性が全然違う事に気づく

世界中の幼稚園を繋げこどもの未来を創る建築家の藤井亮輔です。

mission
「世界中から保育園・幼稚園を選べる世界に」
vision
「世界中の子供たちが友達になれる世界」

こんにちは。
今日は、私が2020年5月に出版した「天才を創る環境」から。

引き続き「体験と体感が大事」の章を進めます。


砂ひとつとっても、その子の感受性が全然違う事に気づく

「砂、石は汚いから食べてはいけないよ。」この、砂と石はなぜ食べてはいけないのでしょうか。そして、なぜ汚いと言えるのでしょうか。というところを考えてみましょう。ここで面白いこどもの意見を例として出してみますね。

ここで面白いこどもの意見を例として出してみますね。3歳から4歳ぐらいのこどもと遊んだときにこどもが実際に教えてくれたお話です。

「おじちゃん、ここの運動場の砂はね、美味しくないんだよ。」

「ここの砂食べたことあるの」

「焼き芋した時に、お芋さんが落ちたからその時に砂がついちゃったことがあるんだ。」

「そっか。焼き芋についた砂を食べたんだね。」

「そうだよ。あとね、海の砂はしょっぱいんだよ。知ってた。」

「知っているよ。」と他愛もないおしゃべりをしたことがあります。

このこどもは、沢山の砂を知っているので、知っている情報を教えてくれました。みなさんのこどもは、こんな風に砂を感じたことはありますでしょうか。

おそらく、最初の大人からの情報一点張りでこんな感じ方をする前に、砂は食べてはいけないんだよ。と、それしか、答えることができない。と思います。前者と後者のこどもどっちがより体験・体感ができているでしょうか。答えは明白ですよね。

そうです。前者の海の砂と、焼き芋についた砂を食べたことがあるこどもです。後者のこどもより、砂は砂でも運動場と海の砂は違う。と、判断できていますよね。

後者は、砂は食べてはいけない。という教えがあるので砂は、どこの砂も食べてはいけない。という判断になります。

砂ひとつとっても、その子の感受性が全然違う事に気づきますよね。私たちの、感じ方はこどもにとっては全然違う感じ方をします。

それは、自分のこどもだからとか、ほかのこどもだからとかではなく、こどもの可能性と考えた時に、この子はどのように感じるのか千差万別です。という意識が大事です。

そして、砂は汚いです。どうして、汚いと言えるのでしょうか。こどもは汚いか綺麗かなんて考える必要がありますでしょうか。ないですよね。こどもは、綺麗とか汚いとかはあんまり気にしておりません。むしろ、興味関心を示したものには、純粋に気になるのです。

なので、汚いは。私たちが経験してきた結果、汚い。という表現になるのです。その体験は、こどもにとって必要な情報でしょうか。命に関わるのでしたら、必要かもしれないです。

しかし、ここ日本での環境でしたら、ばくばく食べる事もないですよね。むしろ、少し食べるぐらいでしたら、そんなに体に影響は起こらないです。なので、食べて体験・体感したほうが絶対いいんです。
そうする事で、味覚という感覚が鍛えられるかもしれないですし、砂という事に興味を持って、いろんな勉強(体験・体感)をするきっかけになるかもしれないです。

もしかしたら、本当に美味しくなくて、一切口にしない。という行動にもつながります。

建築家・教育者・著者・講演者
藤井亮輔


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