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昔話の桃太郎の主役は「きびだんご」だと思っている、という話。

「優秀なリーダーになるためにはどうすればいいか」みたいなビジネス本ってたくさんあると思う。でも、わたしはリーダーシップ教育よりも「フォロワーシップ教育」を大事に思って生きている。

みんながリーダーを目指す世界なんて、なんか気持ち悪い。
それにそもそも自分に合っていない。

みんなそれぞれがリーダーになるためには、素晴らしいフォロワーが必要だ。

リーダーをリーダー足らしめるフォロワーこそが世界をリードしている、わたしはそう思って生きている。

自分では勝手に「Powers of 2(パワーズオブ2)」。
「ナンバー2のちから」なんて呼んでいる。

この考え方を昔話の桃太郎を例にして説明してみたいと思う。


まずは昔話の桃太郎のおさらいを簡単に。
諸説あると思うけど、脱線するのでここはさらっと。

山奥に住むおじいさんとおばあさん。おばあさんがある日、川に流れる桃を見つける。桃からは赤ちゃんが誕生。その子どもに「桃太郎」と名前をつける。子どものいなかった老夫婦はその子どもを大切に育てる。老夫婦が暮らす村には「鬼」が出て悪さをするのでみんな困っている。大きくなった桃太郎は老夫婦から受け取った「きびだんご」を持って鬼退治にでかける。旅の途中で犬、きじ、さるは桃太郎が持っている「きびだんご」がほしくて仲間に加わる。桃太郎は仲間といっしょに鬼を退治して、めでたし、めでたし。

まぁ、こんなところにしておこう。

昔話の桃太郎から学ぶ3つ生き方

1.桃太郎になって鬼を倒す視点

これは主役になって物語を進める視点。
力のあるリーダーがいろいろな試練を乗り越え、仲間を集めて鬼を倒す物語。うん、素敵だ。
きっと、人生にはこんな感じのステージもあるだろう。

2.桃太郎の仲間になって鬼を倒す視点

これはリーダーと力をあわせて鬼を倒す視点。リーダーのために力を尽くす仲間の視点。

3.桃太郎に「きびだんご」を託す老夫婦の視点

これはおじいさんとおばあさんの視点。
今回の話のメインはこの視点。
桃太郎に「きびだんご」を渡すおじいさんとおばあさんの視点。
桃太郎のフォロワー、ってことでいいと思う。


日々どれだけの「きびだんご」をつくれるか

上で紹介した3つの視点はどれが良くて、どれが悪い、ということでは決してない。
人生のそれぞれの場面で、3つの視点のどれもあると思う。

「きびだんご」は実際のお団子からもしれないし、現実世界で言ったら「お金」かもしれないし、「チャンス(機会)」かもしれないし、「人脈」かもしれないし、「情報」かもしれないし、「リソース(時間)」かもしれない、誰かを応援したくて託す「きびだんご」。「愛」と呼ぶ人もいるかもしれない。「支援」と呼ぶ人もいるかもしれない。

人々がリーダーを目指すよりも「良きフォロワー」を目指し、「きびだんご」をつくって渡し合う世界が素敵だなと思っているし、自分がどれだけの「きびだんご」をつくって託せるか、日々考えている。そして、自分がどんな「きびだんご」を託されているかも考えたりする。

その「きびだんご」を持ってどんな仲間が集まってくれるだろう。
そもそもわたしの倒すべき鬼とは?

なぜ「きびだんご」が主役か

おじいさんとおばあさんが託す「きびだんご」は不思議だ。
桃太郎に仲間をつくるキッカケを与える大事なアイテムだ。

もし桃太郎が「きびだんご」を持っていなかったら物語はどんな展開になるだろう?

桃太郎の話でわたしが好きなところは、桃太郎が自分のためだけじゃなくて、自分を大切に育ててくれたおじいさんとおばあさんのために鬼を退治しに行くところにある。もっと好きなのは、その桃太郎に託した「きびだんご」がキッカケになって仲間が集まるところにある。

おじいさんとおばあさんのように「きびだんご」を託す大人でありたい。
それはたとえ我が子でなくとも、「いつかきみの役に立ちますように」と願いを込めて託す希望のようなもの、それが「きびだんご」。

でもきっとおじいさんとおばあさんはその「きびだんご」がキッカケで桃太郎が仲間に恵まれることは予想していなかったんじゃないだろうか。

「きびだんご」は渡す相手が望むようなカタチをしているものがいいのかもしれない。
「お金?」「仲間?」「知恵?」「道具?」

ベンチャー企業の経営者だったら、持っている「きびだんご」はキラキラに輝く未来を想像させるビジョンかもしれない。このビジョンに惹かれて仲間が集まるかもしれない。これも立派な「きびだんご」。なにが鬼かはわからないけど。

すでに経済的に大成功を収めた事業家だったら、「きびだんご」は潤沢な資金かもしれない。その「きびだんご」がほしくて仲間が集まったりもするかもしれない。

「お金」も「ビジョン」もないこともある。それでも、ついていけば素晴らしい体験が待っている、そんな「体験」も「きびだんご」になると思う。もしかしたらその先に誰も経験したことがないような素晴らしい成長機会があるかもしれない、それも立派な「きびだんご」。

世の中には「きびだんご」を持っていない桃太郎がたくさんいると思う

「持っていない」というのはちょっと語弊がある。
みんなそれぞれ「きびだんご」を託されて生きている、と思う。
その「きびだんご」の価値に気づける人がまわりにいるかどうか。
「きびだんご」を託してくれるおじいさん、おばあさんが周囲にいるかどうか。
「きびだんご」を持っていることに気づいていない桃太郎もいると思う。

「きびだんご」がもし桃太郎の話に登場しなかったら、強い桃太郎がひとりで鬼を倒しに行く物語になってしまう、なんだか味気ないし、わたしは魅力を感じない。


そうだ、話を戻そう。
これはフォロワーシップを説明するための物語。

桃太郎になれなくても、おじいさんとおばあさんのように「きびだんご」をつくって託すことはできる。誰にどんなものを渡したっていい。今の時代だと1クリックの「いいね」だって「きびだんご」になり得る。

わたしは日々なるべくひとつひとつの行動に「きびだんご」を意識するようにしている、とか言うと変なやつだな、完全に。でも素敵なデザインに出会ったり、素敵な文章に出会ったり、素敵なサービスに出会ったり、素敵な出会いがあったり、そういう体験をすると「きびだんご」を受け取ったような気分になる。

「これがいつかきみの役に立ちますように」と願って託されたもののように感じることがある。

わたしがそう感じるんだから、同じように感じる人もいるかなと思ってる。
そして、わたしも「きびだんご」をできるだけたくさんつくって託していきたい。

みんながみんなスーパーな「きびだんご」を託せるスーパーフォロワーだったら、最高じゃないかなと思って。

もし今、この文章をたまたま読んでいる人がいるとしたら、視線を手のひらに落としてみてほしい。
両手いっぱいに託された「きびだんご」が見えてくるんじゃないだろうか。

ひとりで戦う桃太郎を育てるのではなく、「きびだんご」を託せるおじいさんとおばあさんのような人を育てていきたい、と思って書いた。

あ、そうそう、このnoteへの「いいね」もわたしへの「きびだんご」です。
素敵な「きびだんご」をいつもありがとう。

次回ぐらいには「きびだんご」をどうやって渡すかについて書いてみたいと思う。インテル3代目の社長アンドリュー・S・グローブが著書で書いている「テコ作用」ってやつを意識して行動しているつもり、そんなことを書いてみようかな。

あ、そうそう、もうひとつ。
じつは妄想していることがあって。
桃太郎で仲間になる、「犬、きじ、さる」は実は「きびだんご」には興味がなかったんじゃないかなと思うときがある。この3匹の動物は昔、おじいさんとおばあさんに助けてもらったことがあって、桃太郎の仲間になることはもう決めていて、「きびだんご」を口実にしただけなんじゃないかな、なんて。そう考えると、おじいさんがおばあさんが託した「きびだんご」をどう考えるかはまた変わってくるんだよね。

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