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【落語】春風亭一之輔「鈴ヶ森」を観て


※ネタバレ含みます。


【】マークを使うと一気にそれっぽくなった感じがする。




落語を自分で調べてみるのは多分初めてだ。お笑いが結構好きだし、歴史のあるものに惹かれるので、そういう要因で興味を持ったのかもしれない。


落語家が座布団に座って話し始める。淀みない口調で、小気味良く、二人の会話を演じ分ける。客商売感のない、自分のペースに引き込ませるような話し振りだ。


このスタンスというのは、今の芸能界にはあまりないものなのではないだろうか。漫才師はお客さんに向けて話す時は敬語で話すことが多いし、コントにしても、なんとなくお客さん目線で合わせてやっているような感じがある。


この自分の土俵に乗っけて、その分期待に応えよう、というスタンスは、芸能として新鮮だったし、仕事人として本質的な価値を感じた。どんな仕事をするにしても、こういう誇りを持った価値提供のやり方をしたいものだ。


さて、落語の内容についてだが、まずなんとなくすごく洗練された技術の高さを感じた。最近「熟練」というのが自分のテーマなのだが、まさに残ってる落語家というのは、熟練された技術を持っていると思う。


見るのが初めてだからか、正直内容については、落語家が表現したいものを全然理解できていない自覚がある。これを少しでも100%に近づけていくのが、「楽しむスキルを磨く」ということなのだろう。今はこの落語については、10%も理解できていないと思っている。


にしても、多くの漫才なんかよりもレベルの高い表現のように思うのだが、それで笑っている観客のレベルの高さも感じた。こういうのが、「教養」なのかもしれない。「笑える」という以上に強いことなど、多分ないのだから。


トークの内容だけでない、リズム、トーン、表情、身振り手振り、あらゆるものを、気にしてやっているのだろう。そして、心から観客を楽しませたい、という気持ちでやっていなければ、できない表現のように見えた。落語家って強いと思う。


「落語」という言葉も、面白いなあと思う。「落ちる語」。「洒落」「落ち」「落ちる」なんかにも使われるこの「落」というのは、もしかするとあらゆる芸能の原点となるような概念なのかもしれない。「落語」を楽しめるようになれば、オシャレになれたり、面白くなれたり、モテたりするのではないか、という下心も芽生えた。




落語の内容自体はまるで理解しきれなかったので、ほとんど触れられなかった。ここにもっと触れられるように、楽しむスキルを、レンズを、磨いていきたい。


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