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中田敦彦のYouTube大学をアウトプットまとめ編〜哲学(西洋哲学史)〜

今回は、中田敦彦のYouTube大学の哲学(西洋哲学史)についてのアウトプットをしていきます。

まず最初に、私のアウトプットに対する結論は、

“答えのない問題に対して、その時代ごとの常識を疑うこと”

を常に念頭において社会を生きよう!

この1分1秒で移り変わる現代社会において自分以外のものに飲み込まれないように、自分の価値観や信念に確かな自分を持って社会を生きよう!

そうすればいつだって迷うことはないんだ、いつだって自分の人生の指標に従って生きていくだけなのだから…

です!

おそらく何を言ってるんだこいつ?となると思うのでザッと私の動画の感想をここから見ていただければと思います。

【西洋哲学史①】〜時代の常識を疑え〜

【西洋哲学史②】〜神から人へ キリスト教と西洋哲学〜

【西洋哲学史③】〜現代社会をどう生きるか?幸福とは何か〜


(古代)科学と宗教と政治の大元として

①ソクラテス

②プラトン

③アリストテレス


(中世)

④アウグスティヌス
(近代)
⑤デカルト

⑥カント

⑦ヘーゲル


(現代)
⑧キルゲゴール

⑨ニーチェ

⑩バタイユ

⑪アレント

僕自身、哲学は“大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる”を読んで親しんだ程度だったのですが、相当わかりやすく解説されているはずのこの本が分かりにくく感じるほど哲学の歴史がわかりやすく伝えられていて時間を忘れるほど熱中してしまいました。


簡単にまとめると、哲学は“答えのない問題に対して、その時代ごとの常識を疑うこと”つまり人類の歴史に哲学ありという内容でした。(伝わってるかな?笑)


では早速参ります。


古代編では、皆さんも名前は聞いたことがあるかもしれないソクラテスをはじめとした哲学界の著名人がたくさん出てきました。


古代編で特に印象に残ったのはソクラテスが提唱した”問答法“、問い続けるということです。理由として今ある常識に対して問い続けることが大切という言葉が凄く今の時代にも必要なことだからと考えたからです。


現代は特にITによって常識が日々アップデートされるため、そのスピードについていくことが精一杯与えられた情報を鵜呑みにしてしまうことがあります。僕がまさにこのタイプです。しかしただ情報を鵜呑みにするだけではフェイクニュースに引っかかったり、誤情報によって他者を傷つけてしまうことがあります。


上記のようなことは誰にでも当てはまるため、そんな多くの情報に惑わされないためにも常識を疑うという姿勢は大切だと考えます。



続いて中世編。ここで出てきた哲学者はアウグスティヌス。この時期は古代で常識となっていたキリスト教の神の教えに対して+αの補足をしており、キリスト教の抱える矛盾をサポートする形で哲学が活躍しています。


ここでは善と悪にについて面白い見解がされていて特に印象に残りました。それがこちら

善・・・人間に自由意志を与える
悪・・・殺人など誤った選択をする

これの何が面白いって、善は与えられること、悪は選択すること、と言われていること。


個人的に哲学って選択する事象に対して徹底的に疑い、己で責任をもって選択しろ!ていう印象を持っていたのですが、善はもうすでに与えられていてその善から誤った判断をしてしまうと悪になるそうなのです。善は選択するまでもなく人間誰しも与えられているってことなんですかね〜。きっと神はあくまで与えるだけで悪を選択するかは人間次第、神は完璧な存在ではないことが証明されたのですね。



続きましてやってきました近代編。この時代は色々な宗教ができてきたことで宗教の存在がゆらぎ始めて神と人、どちらの考えを大切にしたらいいのかな〜フェイズです。


この近代こそ私にとって人生における運命的な考えとの出会いをしてしまいました!!

そう…私は…







この章で私は自分の座右の銘に出会ったのです!

(ひっぱりすぎましたね、申し訳ない笑)

それこそがデカルトの”我思う故に、我あり“です!


この考えが世に出た背景には近代になって宗教の考えが揺らぎ始めたことで人々は神か人間どちらを信じればいいのか迷ってしまうようになりました。そんな時、非常に優れた数学者でもあったデカルトが数学的に考えても私は存在する、理性は人間の中にこそある、つまり私たち自身の中に答えがある!という考えを提言したのです。


この言葉のどこに共感したのかと言うと、神に答えを委ねなくても自分の頭で考える、なぜなら答えは自分の中にあるからと他力本願ではないところに共感しました。古代編でも述べたように常識を疑うと言うことは大事と考えていて、その常識を疑うためにも常識に変わる別の信じるものが必要になってくる私は考えています。


そんなときに他者を信じるのもいいかもしれませんがそれでは他社がいないと意思決定ができない他力本願な人間になってしまいます。


では何を信じればいいのか?



それは(自分)です。


自分を信じることができると言うことは、自分の価値観や信念がバチッと定まっているはずです。これらが定まっていればどんな情報が舞い込んで来ようとも、どんな危機的状況になろうとも自らの考えに従って冷静に判断できると考えています。


結局のところ自分のことなんて自分にしかわからないんです。なら責任を他のものに押し付けるのではなく、自らを知り理性を持って人生を生きていくべきなのではないのでしょうか。


とまあ少々熱く語ってしまいましたがこの近代には他にも面白い考えが盛り沢山なので是非YouTubeでご覧ください!(投げやり)



てなわけで時代は時を超え現代へと回帰していきます。

現代編に関してもニーチェをはじめとした数々の著名哲学者が続々出てきます。(ちなみに私はニーチェしか知らなかった)


特に印象に残ったのはやはりこの男、ニーチェ。

ニーチェはアンチキリスト教であり、“神は死んだ”という有名な言葉を生み出しています。


もう人間主体で考えていかないか?宗教に頼る生き方もいいかもしれないが自己肯定感くらい自分でなんとかしようよ、どれだけ批判されても自分だけは自分のことを信じてあげようよ!となったのでしょう。


てなわけでまずはここまで読んでくださって本当にありがとうございます!

少々長くなってしまいました笑


結論は、繰り返しになりますが



“答えのない問題に対して、その時代ごとの常識を疑うこと”



を常に念頭において社会を生きよう!

この1分1秒で移り変わる現代社会において自分以外のものに飲み込まれないように、自分の価値観や信念に確かな自分を持って社会を生きよう!

そうすればいつだって迷うことはないんだ、いつだって自分の人生の指標に従って生きていくだけなのだから…



ではまた!!


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