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どこでも、なんでも撮れるカメラマンから、なんにも撮れないカメラマンになった話

メインカメラがSONYから変わりました。
FUJIFILMのGFX50Rに戻ってきました。

戻った、というのは、GFX50Rは僕が2年前まで所持していたカメラです。当時は使う頻度が低く、もっと活用してくれる人に使ってほしいと思って、当時から大活躍だった写真家、マンジュコウキくんに譲ったのでした。

GFX50Rは、中判やラージフォーマットと呼ばれるジャンルのカメラで、専門的な話は省きますが、要するにデカいカメラです。
デカくて、重くて、連写もできなくて、ピントが合うのも遅い。
だけど、そんなところさえも愛せるくらいの独特な空気感と描写力を持っています。

どこでも撮れるカメラマンに

なぜ、高機能でめちゃくちゃよかったSONYから、わざわざ不便な中判カメラに変えたか。
その話をする前に、これまでの僕のカメラマン人生の話を少しだけさせてください。

僕は2019年にLovegraphのカメラマンとしてデビューして、出張撮影の仕事を始めました。当時は副業ながら、毎週末は必ず撮影に行き、平日は仕事終わりに写真を編集する日々。
当時はカメラマンの数も今ほど多くなく、地方では結構な数の撮影依頼が担当未決定の状態で浮いている、という状況でした。
そこで、駆け出しだった僕は、交通費は身銭を切ってでも撮影に行きまくり、愛知在住ながら担当エリアを滋賀〜茨城という、今思えばどうかしてるくらいに走り回って撮影をしていました。

その結果、ありがたいことに、その年の「アクティブ賞」をいただき、もっとも多くの地域で撮影したことを表彰していただいたのでした。
当然、初めて行く撮影地も多かったのですが、少しずつロケハンのコツを掴みながら、どこでも撮れるカメラマンになっていったのでした。

なんでも撮れるカメラマンに

会社を退職し、フリーランスになった2020年。世はコロナ禍で、ファミリーフォト需要は激減しました。一方で需要が増えたのは、結婚式を延期して、写真だけでお祝いをするフォトウェディングや、リモートワークでプロフィール写真の必要性が増した企業撮影でした。どちらも非常に専門性が高く、ライティングやディレクションをはじめ、様々な技術が求められます。

僕も、一時期はウェディングフォトスタジオにも所属するなど、未経験の分野にも積極的に取り組んでいきました。
その甲斐もあって、ファミリーフォト需要が戻りつつある頃には、キッズ撮影から、ウェディング、コーポレート、はたまた建築や風景、商品やフードまで撮るようになっていったのでした。
新しい分野に挑戦するたびに、自分の世界が広がっていくような感覚でした。

そんな中、自身の代表作ともなった「爆破ウェディング」を撮影しました。
Instagramでは約3万いいねがつき、フォロワー数も一気に増えました。

自分の強みは、ジャンルや場所にとらわれず、尖った趣味性の強い写真を撮ることなんだ。そう信じて、ブランディングをしていきました。
そのために、どんな撮影でも受けられるくらいのスキルや柔軟さを身につけていきました。

そして、この年は全国のカメラマンの中で、年間の優秀賞である「Best Enjoy賞」をいただき、どんな撮影にも楽しみながら挑戦したことが表彰されました。
こうして僕は、なんでも撮れるカメラマンになっていきました。

どこでも、なんでも の弱点

おかげさまで、僕の写真を好きだと言ってくれて、撮影を依頼してくださる方がいらっしゃり、東京でフリーランスとして生活を続けていました。
そして、この時にカメラをSONYに変えました。全く不自由なく、思った時に思った通りに撮れるカメラ。

しかし、気づくとある時から僕は、プライベートで一切写真を撮らなくなっていました。
どこでも、なんでも撮れるようになったから、自分の撮りたい写真がなくなっていました。

だけど、いい写真を撮らなければならない。
だから、「みんなに評価される写真を撮らなければ」と思考し始めていました。

「どこでも、なんでも、みんなが良いと思う写真を撮る」
良かれと思って進んだ道の先は、予期せぬ負のスパイラルでした。

みんなに評価されるからこそ、人気が出て、仕事にも繋がる。結果、仕事として食べていくことができる。
東京ではなおさらでした。みんなが「良い」と言う人が生き残る、競争社会でした。
尖った趣味性の強い写真を撮りたかったはずなのに、みんなが「良い」と言う、凡庸な写真を目指してしまっていました。

当時の写真が良くなかった、ということは決してないですし、一生懸命に撮っていました。自分の写真も好きでした。
ですが、方向を見失い、自信も失ってしまった僕は、写真で勝負することから離れることを決意し、瀬戸内へ移住しました。

なんにも撮れないカメラマンへ

いつかは海の見える街で穏やかに暮らしたい。
海なし県で生まれた僕の幼い頃からの夢を叶え、身の回りにも好きなものや好きな人たちが増えてきました。

岡山に移住をして半年。
現在は、地域の工務店で広報・PRのお仕事をしながら、町おこしに関わったり、商品・店舗撮影の仕事を頂いたりと、以前からの念願だったまちに関わる仕事をしています。

少しずつ、自分の豊かさを取り戻しはじめ、ふと写真に目が向きます。
「本当に自分が撮りたかったものはなんだろう?」
どこでも、どんな撮影でも、求められたら撮影できることも大事だけれど、それ以上に、自分が好きなカメラで、好きな場所で、好きなものを撮りたい
そう考えた僕はSONYを手放し、中判カメラを買うことに決めました。

冒頭にも書いた通り、本当に不便なカメラです。
ピントは合わないし、デカいし、連写もできないし、なんにも撮れなくなってしまいました。
でも、いいんです。一番、好きなカメラだから。
実はすごく思い入れの深いカメラで、またこうして手元に迎えられたことを本当に嬉しく思っています。
この話は、お会いした時にでも直接お話しさせてください。

ここ数年は、便利さを求めて1年に1度のペースでメインカメラを買い替えていたけれど、しばらくは自分の相棒としてそばにいてくれそうな気がします。

今日からは、自分の好きな場所で、好きな人たちと、好きなものを、好きなように、好きなカメラで撮る。
そんな僕でもよければ、ぜひ何かの形でご一緒しましょう。
なんにも撮れないかもしれませんが…。

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