あれから4年、穂高岳山荘へ行く
2014年、夏。
大学を卒業し、新卒で入った会社をすぐに辞め渡米し、帰国したタイミングで働きだしたのが穂高岳山荘だった。
たまたま、Facebookで流れて来た、知り合いの投稿を見たのがキッカケ。
アルバイト募集
お金稼がないとなあ…とすぐに飛びつき。
面接の電話で山登りの経験の有無を問われたが、正直、無いと答えたら落とされそうで怖かったけど、植村直己の話でどうにか山への熱を伝えた。
山が好きだった訳ではなく、ただ「何か」やりたい事を見つけるまでの、繋としか考えていなかった。
数日後、山荘のメンバーに選ばれたと、連絡が来た。
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2年間の旅で使い込んだバックパックに詰め込めるだけの冬服と寝袋、本、おかしを詰め込み、上高地に向かった。
ひんやりとした空気の中、まだ陽が昇り立ての上高地を出発し、10時間近く歩き続け、穂高岳山荘に到着。
山荘は木造作りで内部はレトロな雰囲気だった。
従業員半分、バイト半分、だいたい20人くらいのスタッフが山荘で仕事をしており、そこから2〜3ヶ月、私もそこで働いた。
標高約3000m、とんでもなく澄み切った空気が身を包む。
どこを見ても雄大な景色に、開放感が凄まじかった。
翌日から仕事は始まり、労働時間は今まで経験した事のない、今考えてもよくやったなあ…と思う程に働いた。
朝は4〜5時に起き、眠りは22時くらいだったか。
そんな毎日を、あの山の上で過ごした。
同じバイトの人達は年齢はバラバラであったが、同い年くらいの人達が多かった。
男のバイトは何故か離れの物置小屋の一角で鼠のように眠り、時折、板の隙間からとんでもなく冷たい風が吹き込んだりした。
持参したシュラフの上に毛布、布団をかぶせて眠る。
シュラフ周りについた自分の吐息の水滴が真夜中、顔面に当たって起きたりした。
仕事が馴れてきた頃には部屋の上、屋根に出て星空を見ながら眠った。
外に出ると数時間で布団は凍り始めるが、それでも、早く流れる夜の雲を見たり、何百と流れる星を見るのは楽しかった。
いろんな事を考えた。
これからの事、今までの事。
なんでも。
沢山いろんな話もした。
夢なんかもすごく語った。
いろんな人に関わった。
終わって欲しくないなあ。
そんな事を思った。
それでも、山荘の日々に終わりは来る。
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2014年、冬。
山の仕事を終えて大阪に戻った。
山の上で語った夢の1つも実行できずに、ただ派遣のアルバイトをしていた。
嘘みたいな時間だったな、と心から思い、その次の年も、その次の年も、穂高に登る事は無かった。
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2018年、春。
ひょんな事で数年ぶりに穂高の名前が出た。
母校の中学で講演会が決まり、その打ち合わせてPTA会長さんと会った時だった。
「そう言えば、返町さんって穂高で働いてましたよね?」
はい、と言うと
「一郎さん、だったかな?宮田…、ええと、どんな名前だったかな…?」
と、その男性の名前を知っているかと聞かれた。
もう4年も経ってしまい、ほとんど山荘の人達はアダ名で呼び合っていた為、フルネームを全く記憶していなかった。
「覚えてないですね…」
と言いながら考えてみても、顔が全く浮かばなかった。
「その方が、どうかしたんですか?」
そう聞くと、詳しい事はよくわかってないんだけど、と前置きを置いて
「亡くなったみたいで…」
と、ぽつりと言った。
それから講演会の話に移り、その男性の名前は静かに流れて行った。
それから数日後、母親が「これアンタの働いてた山荘の人じゃないの?」と、新聞の小さな記事を見せてきた。
宮田八郎さん、ハチさんだった。
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ハチさんは穂高岳山荘の元支配人であり、2014年の夏、一緒に働いてた人だった。
繁忙期の厨房では良く、皿洗いをしていた私の口にコロッケを詰め込んでくれた。
「忙しいからな!よく食えー!」
と言って笑っていた。
ハチさんは時折、薪ストーブのあるロビーで自身が撮った映像作品を上映していた。
厨房で見るハチさんと、お客さんの前で山を語るハチさんは、ほとんど別人に見えた。
後に知る事だが、漫画「岳」のキャラクターにもなっていた。
そのハチさんが、山ではなく海、沼津港沖で遺体となって発見された。
事の経緯については、知床半島で行われるシーカヤックツアーのトレーニングの為、南伊豆を訪れての事だった。
ハチさんは50歳を過ぎても、いろんな事に挑戦し続けていた。
なんだか、悶々とした。
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2018年、夏。
4年前、一緒に働いていたバイトの人達が上高地に集まった。
4年も経つと、すっかり顔を忘れている。
それでも、数回会話をすると4年前の感覚に戻る。
あの頃バイトしていた男子は、県庁やJRに就職したり、独立して生計を立ててたりと、なんだか4年でとんでもなく経済格差をつけられてるなあ…と恥ずかしさも、少しの戸惑いもあったが、素直に楽しかった。
山を登るにつれて、いろんな記憶が飛び出してくる。
あんな事を話したなあ、とか。
あんな事を考えていたなあ、とか。
結局、どれも、やっていない。
いろんな言い訳を自分にして、やってこなかった。
その結果、全く別の道を走っている。
それはそれで良いのだが、なんだか、触りたくない過去の中に入り込んで行くような感覚だった。
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山荘に着くと、懐かしい匂いがした。
木や人の匂い。
温もりで湿った空気。
辺りは山小屋に辿り着いた登山者の、疲れきった笑顔。
すべてが懐かしい。
目頭が熱くなる。
4年、経ったんだ。
早いなあ。
本当に、早いなあ。
山小屋には当時働いていた従業員の人もいた。メンツはほとんど変わらず、なんだか緊張した。
受付を済まし、部屋に荷物を置いて、登ってきた皆でハチさんの部屋へ行った。
見晴らしの良い窓辺の机に、ハチさんの写真が飾ってあった。
手を合わせた。
ハチさん。
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