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【#7インド】デリーに行って笑顔が減った

南インドのチェンナイから北インドのデリーに飛行機で移動した。インドというと暑い国というイメージがあったが、北インドは冬であれば寒い。実際、セーターやジャケットを着ている人が多く、半袖はまず見かけない。

デリーでは本当にたくさんの出来事があった。デリーに着いて困ったことは、チェンナイ以来の体調不良だった。

毎日のように腹痛、頭痛、高熱に悩まされた。衛生面だけが原因ではない。おそらくは精神的なストレスも関係している。

インディラ・ガンディー国際空港に降り立って、宿の近くの最寄り駅まで行くためメトロを利用したとき、南インドとの違いをすぐに感じた。

デリーの人々は電車の切符を買うとき、頻繁に割り込む。列があることに気づかなかったわけではない。

わかりやすく人が並んで待っていても、最後尾に並ぶのではなく、駅員が対応している客が去り次第、身体を入れてお金を出していく。改札口でも少し混んでいたら同じことだ。並ばず、身体を入れて切符を入れようとする。

最寄りのデリーメトロ駅

電車に乗るときは車内にいる人が出ようとするのを待たずに次々と乗り込む。腕や肘、スーツケースがぶつかっても全く気にせず、座席を探す。

車内の人が困惑して、出たくても出られないという状況を何度も見かけた。駅員は、お釣りの硬貨を投げて返す。

また、物乞いやリキシャのしつこさは増した。例えば、デリー旧市街のオールドデリーにあるジャーマーマスジドというモスクに行ったときは、門が四方にあったが観光客の入り口がどこか分かりづらかった。

さらに怪しげな老人に入場料を要求された。インドということもあり、その施設の人なのか、それとも詐欺師なのか判断ができず動き回りながらスマホで調べていたが、横からリキシャ(三輪の自動車)がずっと営業をかけてきて集中できなかった。

もう目的地に着いていると言っても伝わらず、つきまとってきたので怒鳴ったことがある。予想より大きな声が出て、自分の方が驚いた。

ジャーマーマスジド
リキシャ

そんな俺でも、デリーで流しのリキシャを利用したこともあった。しかし動き出してすぐ乗客の俺にルート検索しろと言ったり、信号待ちになると横のドライバーに場所を聞き始めた。

ドライバーは、地元デリーの世界遺産フマユーン廟を知らず、しかも事前の念押しでフマユーン廟を知っているかという俺の質問にも嘘をついていたのだ。最後にはフマユーン廟とは遠く離れた路肩に止め、料金だけはしっかり請求してきた。

フマユーン廟

あるリキシャはグーグルマップを示して依頼した目的地とは違う場所に到着しただけでなく、その事実を指摘すると悪びれる様子もなく倍の追加料金を要求した。

Uberなどの配車アプリでお願いしたドライバーは質が高かったが、流しのリキシャを利用すると余計時間がかかることがあると痛感した。

ジャーマーマスジドでは、モスクの赤砂岩と白大理石のコントラストが美しかった。敷地内に別料金ではあるがデリー市街を一望できるミナレット(塔)があり、登ることができた。

塔の入り口には少年がおり、外国人と見るや案内すると言い、傾斜の高い階段を上がる先導してもらった。頂上からの景色を堪能し、入り口まで降った後、少年はチップをねだった。

善意で案内してくれたんじゃないのかと驚いた。油断ならない。それ以来、名所で「案内するよ」と言うインド人がいても親切なのか下心があるのかと信用できず、避けるようになった。悲しかった。

ジャーマーマスジドのミナレット

デリーからはアグラに移動したいと思っていた。メジャーな移動手段としては、鉄道があった。しかし、タイやシンガポールで簡単にできた列車予約に思いのほか苦戦した。

まずネットから予約ができなかった。何度アクセスしても同じ画面で止まり、読み込み中から動かなかった。直接行くしかないと思ったので、ニューデリー駅の外国人専用窓口に向かった。

事前に調べると外国人専用窓口は構内の2Fにあるようだったが、駅にいる制服のインド人に聞くと、「駅を出て左に歩いて行ったところにある」と言われ、混乱した。

他に二人の警備員に聞いても同じことを言われたので移ったのかもしれないと思い、駅を出て通りを歩き始めた。

しばらく歩くと、それらしい建物があったので入ろうとすると、門前で止められ「ここは違う」というようなことを言われた。そこでさらに歩いているとインド国鉄の職員を名乗る男が「いい靴だね」と身分証を見せながら話しかけてきて、「仕事終わりなんだ」と言った。

窓口に案内してくれることになり歩きながら話していたが、なかなか着かない。ようやく着いたと思ったら、明らかに民間の旅行案内所だった。しかも中から流暢な日本語を話す小太りで中年のインド人が出てきた。

これは騙されたと思っていると、その男は「今日も日本人が何人も来て、チケットを販売したよ」と言う。しかし、男の日本語の流暢さが余計に怪しさを際立たせており、これは詐欺だと確信した。

もし入店していたら高額な代金を請求され、払わなければ出してもらえなかっただろう。まさか自分が詐欺に遭いかけるとは思いもせず、あの気さくな男が嘘つきだったとは信じられず、さらにバラナシ行きの鉄道予約もできず、一気に疲れが出た。

改めてニューデリー駅構内に戻り、2Fをくまなく調べるとForeign Tourist Bureau(外国人専用窓口)と書かれた部屋があったが、まだ営業時間内にもかかわらず固く閉ざされていた。

本当に主要な通りに移転したのか、それともここ数日は閉鎖しているのか、あの通りにある建物が外国人向けのオフィスだったのかなど色々な考えが浮かんだ。信用できるインド人が身近にいない中、当時の状況でも、また今となっても確かめようがない。

インド料理も辛口が苦手な俺には口に合わず、食での充実感も得られない。宿にチェックインするときは、ネット予約した正規料金より割増した金額を提示され口論になる。

宿泊代金をすでに支払っているにもかかわらず、支払ってないと勘違いされたとき、最後に言われたのは「Sorry(すまない)」ではなく、なぜか「No problem(問題ない)」だった。

セブンイレブンを見かけ、中に入ろうとすると「Break!(休憩中)」と追い出された。それも日本であれば通勤客の多い8時ごろだった。ある日、やっと中に入れたと思ったら、店員は大あくびをしながらレジを打っていた。

また、インド人はポイ捨てをする人が多い。そのため、街中にゴミが溢れているが、サモサというじゃがいもを具にしたパイのような揚げ物を売っている店では、店員がカウンター内で薬を飲みその包装袋をレジでポイ捨てしていた。

ほかには、細い路地を猛スピードで後ろから立派な角をもつ牛が走り抜けたこともあった。周りの話すヒンドゥー語がわからないので、走り去るまで気づかなかった。

サモサの店

デリーの後は、アグラかジャイプールに移動したいと思っていたが、このデリーでのトラブル、常識の違いに心身ともに消耗してしまい、もうインドを出たいと心底思った。

ただ、インドに来たのは目的があった。ひとつは、ガンジス川で火葬場を見ること、もうひとつはマザーテレサの家でボランティアをすることだった。

それならもう観光はほどほどにして、ガンジス川のあるバラナシ、マザーテレサの家があるコルカタにだけ行くことにして、他の都市は止めようと思った。

インドでは優しいだけでは生きていけないと感じた。毎日がサバイバルだ。いつも何かトラブルが起きないか、起きたら対処できるように身構えていた。

デリー以来、外国人相手になめた態度をとってくるインド人とは真剣に闘った。日本では剛と柔であれば柔だけを使ってきた。愛想よく誠実に対応することが美徳だったからだ。

ただインドでは、争うこと、叱ることで権利を主張しなければならない場面があるということ、怒鳴ったり、睨んだりすることがときとして有効な交渉術なのだということを学んだ気がする。

結局、鉄道の予約はできず飛行機でバラナシへと向かった。

オールドデリーの露店


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