初恋の味はいつだって苦い #文脈メシ妄想選手権 の感想

坂るいすさんの記事がきっかけで始まった#文脈メシ妄想選手権。結果も含めて終了したとのこと。

何かが始まって終わっていく姿を見るのは、ちょっぴりと切ない余韻を残しながらも嬉しいものです。

当初全然書くものが頭に浮かばなかったので、読む側に回るだろうな、と思っていたのですが、気付けばいつの間にやら三作も書いていました。そもそも小説を書く行為自体が妄想の具現化みたいなものなので、その言葉に根深いものを抱えていたのかもしれません。

※実話、と敢えて記載してみようと私の書く物語は、(そこに自分自身がどれだけ入っているかの濃度は別として)虚構です。残念ながら、本当の意味で選者の池松さんを歯軋りさせることはできなかったと思います……笑

(※池松さんは実話に歯軋りを起こす特異能力?があるそうです)

本当の実話は甘いものばかりではなく、いつだって記憶を掘り返した時に浮かび上がるのは、優しい言葉ではなく辛辣な言葉であり、砂糖を噛むような記憶ではなく青汁を飲んだ後のような記憶ばかりです。

例えば記憶の中にある情景としてくっきり浮かび上がってくるのは中学に入ってすぐの頃でしょうか。部活とは別に、週に一回だけ町内の公民館に通ってスポーツに興じる集まりに参加していた私に、

「あっ、これ残ってたからあげる。そう言えば今日バレンタインデーだったな、と思って。喜べ」

と、汗のにおいが満ちるロビー内で、たまたまスポーツバックに残っていただけと明らかに分かるチロルチョコを放り投げてきた、ふたつ年上の女性の義理以外の他意は一切感じられない表情にかすかにざわつく感情だったり、

あるいは、

例えばこれもバレンタイン関連で芸が無いな、とも思いますが、教室の真ん中で硬派を気取る男の子が「可愛い」とみんなから羨望の的だった女の子からのチョコを「要らない」と言って泣かせてたのを教室の片隅から見ていて心をまたざわつかせたり……あぁ駄目だ、思い出してきたら、嫌な記憶が全部よみがえってくる……「告白されたんだけど、代わりに振ってきて欲しい」と友人にお願いされた、その相手が実は……という過去まで――いや……これに関してはメシひとつも関係ない……これ以上は言わねえ。一生、言わねえ。

※これは実話です(私の目が真実を宿しているのなら)

タイトルに初恋とは書きましたが、別にどれかが初恋だったとは、そもそも恋だったのか、今となっては私自身よく分かっていないですし……そもそも聞くな、そんなもん。

まぁつまりは何が言いたいか、というと、私の想い出とはつねに華やかさに乏しく苦さが先行してくるもので、たまに思い出して後悔したり懐かしんだり、その人生を嫌っているわけではないし、それなりに楽しんではいるけれど、私はたったひとりの自分というストーリーだけでは満足できない。

だから私は物語を読み、書く。

そこには私の選ばなかった、歩けなかった、見たこともなかった世界が、想像ひとつでどこまでも広がっていく。

内へは深く、外へは広く。

四次元ポケットは要らないのだ。ドラえもんという名の物語と、どこでもドアという名の想像はもう私のそばにある。


これからも私は物語に身を浸らせていく。



三作の内、どれが好きでしたか。池松さんは『うどん屋「大仙庵」にて』が好みだったみたいで(言葉にしてくれたことが何よりも嬉しい!)、まぁ私からどれが自信作と言いますまい。作品の解題もしますまい。好きに読んでくれれば、それ以上に嬉しいことはありません。


最後に、

みなさん、お疲れ様です! 変わらずひっそりと本読んでるか、小説書いている人間ですが、またよろしく~。