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一対一について

今流行りの「呪術廻戦」に僕もハマっている。ザ・ジャンプといった漫画で、学生時代に読んでいたNARUTOにも通ずるような要素もあり、面白い。

呪術廻戦の中で、主人公の親友的な立ち位置の人物の必殺技に「布瑠部由良由良」というものが出てくる。これを唱えると強い式神を召喚できる。「ふるべゆらゆら」と読むらしいのだが、未だに中二スピリッツを持つ僕は「かっけぇ…」と目をキラキラさせてしまった。

調べてみると、布瑠部由良由良とは日本神話の十種神宝というものに由来しているらしい。日本の古い神話や言葉には、文字列から意味は読み取れない当て字的な言葉が結構出てくる。

当て字的な言葉は大抵、音と漢字が一対一の構造になっている。布瑠部由良由良も、ふるべゆらゆらと1文字に対して1漢字が振り当てられている。

昔、日本文化史を勉強していた頃に「迦楼羅」という仏像に魅了された。「カルラ」と読むインドかどこか由来の神らしいのだが、頭が鳥で体が人間的フォルムのいわば鳥人である。その異形さと中二臭がぷんぷんする一対一の名前に心惹かれた。

他にも日本史で「藤原不比等」という人物にも関心を持った。不比等も「ふひと」と一対一構造になっており、僕の心を掴んだ。

なんとなく言いたいことをご理解頂けただろうか?僕にも理由は分からないが、音と漢字の一対一構造には昔から謎の魅力を感じてしまう。

仕事の関係でも一対一構造に出会ったことがある。とある不動産会社で、下の名前が   「○○比古」という方がいた。「ひこ」と言えば多くの方が「彦」という漢字を使うだろう。それを「比古」とあてるところにその方のご両親のセンスを感じた。

省略化される言葉が溢れかえる現代において、 一対一構造は無駄が多いように思える。そもそも一文字で数音を表せるのが漢字の利点であろう。一対一構造はその意味では絶滅危惧種といっても過言ではない。故に、一対一構造を見つけてしまった時には、心がときめくのかもしれない。

変な趣向だとは思うが、特に男性には共感して頂ける方もいるのではないかと思う。


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