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2020.7.11 詩の礫(つぶて)。

昨日の夜22時から始まった和合亮一さんの「#礫」に参加した。そのタグを付けて思いついた言葉を綴ったり、写真をアップしたりとかくリアルタイムで創作しようという活動。他の創作行為もそうだけれど、特に詩は一人で静かな部屋で綴るような印象があるからとても新鮮だった。

とにかく礫をなげる。投げられたものは時にひとところに、また別の時はバラバラなところに集まっていく。重なることもあれば孤立することもある。が、投げる。積もうとすることもなく、積もるものは積もる。「孤立している」「積もる」って書いた時に「積もるに価値がある」と考えるのは現代病だと思う。孤立しているものはそのままでいいのだ。積もったって、そのうち意地悪な鬼たちが崩しに来るのかも知れないし。形のある鬼と、形のない鬼とがいる。前者を人間といい、後者を忘却という。

でも、誰が、何が崩しに来たとしてもまた投げればいい。投げるのを見ている人がいるから。その人が投げてしまう人だったら、きっとそれを見て投げるから。投げられたものが消えていく。投げる人だけが続いていく。行為するだけが行為じゃないということを、頭の中にとどめながら。無言の叫びも聞きながら。それでも無言には出来なかったものだけ投げ続ければいい。言葉にできたものが言葉としてその位置をはっきりとギラつかせることで輪郭が浮かび上がって、無言の叫びまでもが可視化されるはずだ。

次回も参加しようと思う。詩の礫。とかくとても良い時間でした。ありがとうございました。


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