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酒飲みの記憶、不確かにて候

酒飲みの記憶は削られていく。

それが楽しい飲みだったからって全部は残らない。むしろ楽しいからこそ楽しい部分しか残らなかったりする。ツイッターで多くのひとと出会ったけれど、そのひとたちとの楽しい飲み会は一部分しか覚えていない。めちゃくちゃ笑ったけれど、笑った理由を覚えてなかったりね。

といって暗い話だったからと言って全部残るわけでもない。暗い、というか真剣さというか。今まで一番真剣だった飲みってなんだろう、と少しだけ考えてみる。たぶんそれは大学生の時だった。とても仲の良かった友人が深夜に飲みに誘ってきた。飲んだ。彼は自分の母が余命の宣告を受けたことを告げた。その夜の詳細は、正直あまり覚えていない。けど語るときの彼の様子はたぶん忘れられない。彼は母を失った。その後も世間的なステイタスとは裏腹に波乱万丈だった。幸せを思う。

酒飲みの記憶は削られていく。

たぶん終わりが幸せだったなら途中が殴り合いでも忘れてしまうだろう。もしくはそれすら酒に溶かしてスパイスくらいにしてしまうだろう。酒は恐ろしいものだ。素晴らしいものだ。それを忘れない。それだけは忘れない。今日このあと飲みすぎて、数十分前にやったライブ配信の内容を忘れてしまっても、それは忘れたくはない。

酒は不思議なもので、とかく全てをどうでもよくさせて忘れさせる。ぶっちゃけ世間様がうるさいなんとかドラッグよりよっぽどドラッグなんじゃねえのって思うことがたまにある。しかししかしこれまた不思議なもので、その日一番印象的だったセリフなんかは語り部の吐息に巻き上がるホコリの陰影まで記憶に残ってしまうくらいの記憶作用も同時にもたらす。要点だけは色濃く残る。誰かの泣いた顔、怒った顔、握手の熱、印象的な言葉、出会い、別れなどなどを、走馬灯用にクラウド保存していやがるよ。まったく厄介な液体だ。

覚えている。失くなった恩師の充実した笑顔とか、凄いくせにめんどくさいやつのよくわからん言葉とか、自分が何かを失うきっかけになったひどい言葉とかを。

きっとこれからもアルコールはその部分だけを削らない。いい酒、酒米ほど大事なところを―それが多少嫌なことであっても―残す。残酷なほどに。微笑ましいときもあるだろうけど。それはひとと場合によるよね。一概には言えないよ。ははは。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。