ryoryo学基礎論6 - 優しさから目を覚ませ

こんにちは

歯医者ってなんで「開(あ)いて〜」って言うの?祈り?



優しさとは打算なく、見返りを求めず、相手のためを思ってする行為のことだと俺は思う。

世の中で評価される優しさの多くは、「相手にこう思われたい」という、他者をコントロールするような発想に基づいているもの(行為者自身も気づいていないことが多い)で、これは本質的に優しさではない。

※実は自分のためにやっているのに、お前のためを思って。。。みたいに繕うこと(論外)についてではなく、評価されることを潜在的に目的にしている優しさについて言ってます


根本の発想が違かったとしても、行為として同じであれば問題ないと感じるかもしれないが、それは大きな罠だ。受験だったら多分ここで差がつく。

たしかに、「優しい行為」をして、それを他者が受け取った時点では、どんな発想に基づいた「優しい行為」であっても特に問題はない。

しかし、「優しい行為」を受け取った他者からの評価は、行為者を呪う。

たとえば、「優しいね」なんて言われたら、そう思ってくれる人の期待を裏切るわけにはいかないと考えるのが人情で、期待に応えようとして自分のリソースを割き、それに気づいてもらえなかったら「なんでこの人は気づいてくれないんだ」と考えるようになる。

つまり、見返りを求めるようになるのだ。

当然見返りを求められていることは受け手も感覚的に理解できるので、「何か返さなきゃ」と思うようになってくる。

そうなるときっと、行為者・受け取り手双方にとって苦しい。それはやってないよね?(麻雀忍者)
行為者も受け取り手も、当たり前にいい人だから、こうなってしまう。

だからお互いのために、気づかれないし、評価されないけれど、相手を思って行動するというような優しさを持つべきだ。

また、優しくしてもらえたことに気づいたら、喜べば良いだけで、評価はしてはならない。
純粋に喜んで欲しくて行動することは、見返りを求めているわけではないと俺は思う。

本当は、相手が自分の期待に応えてくれる必要もなければ、自分も相手の期待に応える必要なんてないけど、そうもいかないから、初めから評価されようなんて打算を持つべきではないという話でした。

体感、世の中これと同じような構造だらけで、完全にこんな考えに則って生きていくことなんてできないけど、考えながら生きてみると、少し優しくなれる

読者諸君よ、嘘の優しさから目を覚ませ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?