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つまるところ、家族の話。 【BORGEN (コペンハーゲン/首相の決断)】

ネットフリックスでドラマ『BORGEN』を観ています。(邦題は『コペンハーゲン/首相の決断』) とても面白いので着々と見続けているわけですが、これって政治の話っていうよりも「家族の話」なんだなと思って観ています。
キャリアと家族はゼロサムゲーム、キャリアに時間や労力が割かれバランスを失えば、必ずそのしわ寄せは家族に来ます。そして結局どちらかを選ぶことになり、そのどちらかは失われます。そんなことを改めて考えさせられました。舞台はデンマーク、主人公は女性で一国の首相ですが、これには性別も職業も関係ないように思います、仕事に熱中することも放棄することも決断自体は簡単であるし、またそのどちらかを「だめにしてしまう」ことも、それ自体は簡単に起きてしまいます。

ところで、人の悩みはアメーバのようなものと思います。特定の大きな悩みがあればそれが頭のなかを支配しますが、それが解決すると別のものが空いている領域を埋め尽くそうとしてくる。健康の悩みが終われば仕事、仕事が終わればお金、そんな具合にです。今の自分自身は健康も仕事もお金も悩みがないので、おのずと別の悩みが頭をもたげてきています。そしてそれは世代にもよりますが長年付きまとうもの、「家族の悩み」です。

家族の問題は、とにかく「論点」が多いように思います。経済的扶養であれば経済や労働の観点、家事は能力と労働の観点、不倫などの不貞行為は恋愛・嫉妬・尊厳の観点、などなど。もういろんな問題の合わせ技、究極系です。極めつけは育児という観点、もうお分かりのとおり、問題の「再生産」とも言えようと思います。また、夫婦関係は男女間の問題でもあるため、これはジェンダー論とも関わってきます。一つの問題だけでも解決できるかどうかなのに、複数の絡みあっている問題がすぐに解けるはずはありません。カルチャーや価値観という視点もあり、こういったものを特定の利益のために扇動するメディアもいるので、日々問題は増殖しているともいえるのではないかとも思います。


幸福の最大化の最終形態のようにも思える「家族」については、実際多くの「問題」をはらむことは究極の皮肉と言わざるを得ません。自分は無宗教ですが、こういった問題に救いを求める姿勢も理解はできます。復活や解脱がなければ、立ち向かう気力がわかなくなることもあるでしょう。

自分としてはジェンダー、労働、恋愛、といった観点で、これからも家族の問題を考えてみようと改めて思いました。そんなところで本日はこの辺で。

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