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「野ばら 1」 / 散文


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ビルの屋上の取って付けたような喫煙室、そのガラス張りの内側から、遠目に港と倉庫を眺める。
蘇る悪癖?
いや、心底そうとも思っていない自分もいるが、程々に。
この日は自身の周りの様々な音がやけに耳につき、側のエレベーターが放つチンという子気味いい知らせも耳障りで。
こんな日は適当な理由で早引けするに限る。



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少し前から、何故かウェルナーの「野ばら」が頭から離れない。
童は見たり、野なかのバラ。
手折 たおられたバラはその後、一体どうなるのかというのが素朴な疑問で。
更には「バラなど易々と手折れぬだろう」という疑問も生じるわけだが、文系はついそこにこの歌詞の比喩性を感じたりもするのであった。
思えば子供の頃、辺りの草花を手折っていたものだが、それは好奇心が動機になっていたはずで、残念ながらその後の草花の行方は記憶にあらず。

イノセント。
手折れば手折れ。
しかし手折れば、やはり甘美な棘の一つも刺さるのであろうか。


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冷静を装いつつ、近頃どうにも装いきれていない自覚もひしひしと感じている。
春から図らずも新たな波に乗った自覚はあるが、そこから波と波との狭間にさざ波をも感じ始め、その細々 こまごまに接し、応じていると改めて感じた事があった。
即ち、自分は不器用なのだと。
時間配分や優先順位やらも苦手、何だか時間ばかりが過ぎてゆくのだ。

そんな理由 わけで意味無く気も はやり、また放心したり、プライベートでは奔放になったりもする。
そもそも僕はルールを好まない。
「そんなものは、破る為にあるようなもんさ」
そんな事を週末の夜に話していたっけ。
小さな一の橋を渡り、傾いた陽と乾いた風がまろやかな翌夕、
「全く、君は」
と笑う横顔を眺めながら入った純喫茶でサンドイッチを山分けしたのだった。



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早引けし、あの日歩いた道をできるだけ颯爽とくことにする。
体温超えとやらの容赦ない暑さが肌を刺すが、なに、涼しい顔で行くのだ。
ふと左手に やしろを認め、そう言えば以前この道を通った際に見流していたと思い出した。
自分の時間をどう使おうが自由なわけで、ふらりと鳥居を潜るとやけに馴染みの気配。
そこには白龍がおわし、この地の社に初めて立ち寄りましたと挨拶を済ませたのであった。

したたる結露のように汗ばむ肌に、幾度も水を潜りくったりとした手拭いを押し当てる。
どうせならと足を伸ばした先のスパイス屋で、ぼんやりと待ちぼうけ。
こんな日は特に香草が必要だ。
切らせていたドライのペパーミント、ついでにレモンバーベナと気まぐれにインドのライチジュースを求め、文庫本片手に電車に揺られる午后。


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人生の何かが、例えば大きな船がゆったりと舳先 へさきを変えるように、何事かが水面下で始動している気がしている。
それが何なのかは分からないのだが、その気配を察知しただけで随分そわそわとする。


多分、キーはまず「知恵」だ。
全く関係のない分野から、やけに「知恵」というインスピレーションを感じるし、その為にはまず腰を据えて俯瞰ふかん せねばならぬだろう。
また知恵は頭だけではなく、経験に基づき力を発揮するはず。
余談だが、動き出しているのは僕の船だけではなく、世の人々、その中の一定の人々の船もゆらりと動き出したタイミングなのではないかと強く感じているのであるが。


振り返る。
何時だったか、高台から海の方を見ると外洋を巡るような船が碇泊しており、ああ、この船に自分は乗るのだと感じた夢を見たことを思い出した。
オラクルカードを引くと「夢に注視するように」というメッセージが頻繁に現れるのだが、僕にとってまさに夢は昔からメッセージであり続けている。


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春分にオラクルカードを引いて登場したのは「孔雀」で、メッセージは「美、知恵」だった。
「美」と言えば自分のなかで浮かび上がる存在があるが、それは数年前に夢に現れたクリシュナで、またクジャクと言えばクリシュナに繋がる。
その時の夢でクリシュナから貰ったものがあったが、それは「未来に対応する愛という名の香り」と「望みはあるよ」という言葉だった。

どういう意味があるのか判然としなかったが、それでもそれ以来「望みというものは自分から手放さない限り、いつでも共に在るものなのだ」と、何だか心強く感じていたものだ。
全てに於いて、本来望みとはそのようなものであろう。


その後、また別の夢でクリシュナにまつわる生地を手に入れ、それは反物 たんもののように幾重にも巻かれたっぷりとしたものだった。
またある時、クリシュナを想うと現れたビジョンは美しく咲き誇るバラの花で、花弁に甘露を乗せた姿からは甘美な香りが放たれ、染み渡るその美しさと香りで僕の生命に力を与えられた気がしたもの。



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今思えば、様々な伏線が繋がり合い、またそれぞれが記憶の中から立ち顕れている不思議。
つい先日の夢では、「愛と知恵」のマスターらしき存在が満面の笑みで登場。
一体何がどうなっているのだろう。
地に足を着け、腰を据えて俯瞰せねばなるまい。

腰を据え、ふわふわとしている。
風の中に溶け込もうとするインセンスの香りみたく、水の中で揺らめきながら溶けだす角砂糖みたく。


以前、僕が勝手に贔屓ひいき にしていた姫神を まつる小さな社があったのだが、その街から越して以来すっかりご無沙汰で。
たまに乗る路線の車窓から、時折ちらりとその社の姿を認める度、密かに姫神に想いを馳せていたのであるが。
しかしその社の目の前の建物に、図らずも君が越してきていたと知った時の驚き。




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純喫茶で音楽や歌詞の話をした。
「夏なんです」
自分の世界に、しゅっと僕が現れたから動揺している、と君は言っていた。
カガミの舟に乗った少彦名命 スクナビコナみたく、しゅっとやってきた得体の知れない流れ星。

僕が、夏の暑さにいてふわふわと時空の波乗りをする童なら、君は高嶺たかね つる ばら。
童は尾を引き、頭上に下りてきた蔓の周りを奔放な軌道で周回している。


高嶺のバラは怖がりで危うい。
昨日落ち合う前、あの街なかの社で君が君らしくあれる事を祈っておいたのは、この夏の一寸ちょっと した秘密だ。

ほら、夕風が吹いてきた。



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獅子座新月によせて