2024年1月19日(金)『教員免許ゲットだぜ!』

今日の講義で教員免許を取るための教職課程が終了した。

1年の前期から始まったこの教職。4年の後期にしてやっと終わりを告げた。長い長い長すぎる戦いだった。もう大変でキツすぎた。解放された。この4年間頑張って来た自分と仲間たちを大いに褒めたいと思う。

教職課程はプラスαで単位を取らないといけなく、その単位も卒業単位に含まれないという雑魚仕様。しかも集中講義で年に3、4回くらい土日が消失する。ましてやただでさえ多いテストにその教職分のテストも重なってくる。勘弁して欲しい。そのため特にうちの化物コースでは教職課程をとることは人間のやることではないという言葉が漂っている。

学部全体で捉えても最初は100人以上いたのも、月日が経つにつれて1人2人と去っていく。教職な講義が次々と始まるにつれて人間が減っていく。教員免許なんて取り得という甘い考えが、現実の苦行に耐えられなくなりその甘い心をバキバキに砕かれる。友達も来なくなっていた。そして最終的に残ったのも20人。うちの化物コースからぼく含めて6人残った。この20人はよく頑張った。もう勇者。本当にすごいと思う。褒めすぎだと思うかもしれないがこの戦いはそれくらいのものだった。

この4年間で講義も1年から数えきれないほどの様々な講義を受けてきた。何をやって来たかは覚えてないが、体感そのほとんどをやる必要ないんじゃないかなと思った。思ったというか実際そう。ギュッてしたら10時間分ぐらいしかないと思う。

教員になるために必要なことは、教育とは何かを学ぶのではなく、生徒とのコミュニケーションと授業のやり方。教員としてはこの2つが大きな軸となる。教員になってからはその2つがメインになってくるわけで、それが大変で一番頭を抱えるはずなのに、学ぶのは教育の原理だったり歴史だったりシステム。こんなもの知らないくても影響はない。それなのにそういう事ばかり教えたがる。なにがやりたいのか、なにが目的か一切わからない。

ぼくとしては教職課程を取るとなったら、ほとんど模擬授業をやり続けるだけで良いと思う。それが実際教員になった時に生きるから。教員なんてそのほとんどの時間を授業しているわけだし。

昨日今日の最後の講義で模擬授業を10分程度やったのだが経験が足りなすぎると思った。ぼくも含めてね。そりゃ下手なのは当たり前だがもっとできることはあったんじゃないかとつくづく思う。下手なりに力を入れるところはあるし、クオリティを上げるために出来ることは山ほどある。生徒の反応がよくなるためには、理解が深くなるためには、生徒が前向きに積極的に授業を受けてくれるためにはなどなど、考えるところは終わりない。授業を作ることほど細かいものは数えるくらいしかないと思う。

だからこそ経験を重ねていく必要があるし、そこに時間をかけるべき。

生徒とのコミュニケーションも大事だが、こんなんは講義とかじゃなくて個人の問題だから教えることなんてない。教えられたとしてもできる人とできない人で差が生まれるだけ。人間だからコミュニケーションの得意不得意はあるわけだし。これは実際生徒たちと交流して身につけていくもの。

でも授業だけは下手ではあってはならない。その生徒の命運を少なからずとも握っているわけで求められていること以上のことをやらないといけない。それは子供という未来の宝を預かる身としての責任。

しかし実際模擬授業をやったのは2回くらい。少なすぎる。

そのくせ学習指導案という授業の計画みたいな不必要な書類は毎回作らせる。これこそ全然いらない。授業をやる上で必要なのは、今回教える内容と範囲、進め方と板書計画くらい。なのに”この単元はなぜ必要なのか”とか”理解力や主体性など生徒の授業を受ける状態”などをいちいちパソコンでパチパチしないといけない。必要性が感じられない。指導案なんてその授業の内容計画と板書計画だけでいい。そんなことなんてしったこっちゃない。それ作るのにバカみたいに時間がとられる。そんなん作るくらいなら授業の練習をしたがまし。自分の身になる。教育は座学じゃない。

教育に対しての不満なんて一生出てくるのだが、嫌なことばかりじゃなかった。模擬授業でも授業を作ってやるのは楽しかった。漫才やコントなどのネタを作っている感覚に近くて、一番大事なところを明確にして、教科書の内容を噛み砕いて整理し、必要なものだけ抜粋。生徒が飽きないようにその授業の構成も考える。話が続いてたら問題を解く時間だったり話し合う時間を設ける。本当に授業とネタは紙一重。教育実習中はほぼ1人でそれをやっていて実際丸々授業やって生徒の反応はどうかと。反省して次の授業に生かす。それの繰り返し。

授業をやる時も、自分が理想とする先生像を自分で演じる。自分が求めていた授業を自分でやることがいい授業に繋がると思う。その理想が、わかりやすい授業なのか、たのしい授業なのか、面白い授業なのか、正解は先生の数いる。それでも授業をやっている自分が一番納得しないと生徒が納得できるわけない。ぼくは楽しむことが第一だからとにかく自分が楽しんで授業した。実際楽しかったし。結局授業をやっている時が一番楽しかった。お笑いしかり人前でなにかをやることが好きなだけなのかもしれないけど。

この4年間で教育についていろいろ考えたけど大事なことはパッとは出てこないな。それくらい学びが薄くて自分も実習くらいしか身が乗らなかったからな。どっかのタイミングで考えてみるのも面白いかもしれないけど、どうせやらない。ぼくは教員にはならないからね。

もともと教員になるために大学に入学したのに、卒業する時には芸人しか見えていない。誰がこんなこと予想できただろうか。

でもこの実習での授業の経験は確実にお笑いにも生きる。生かせるかはぼく次第だけども。とりあえず一つの大きな重荷から解放された。今日は存分に自分を労おう。ご褒美をやろう。

また将来、教育について触れるタイミングはあるのだろうか。その時にまた深く考えてみよう。

いや〜なんだかんだ楽しかったね。

絶対オススメはしないけどね。

教職をやりきったみんなお疲れした。


明日からの旅行が楽しみなそんなある日。

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