都内社会人の男のぼやき#5「若林正恭」


4/9から日本テレビ系列日曜22時30分の枠で放送されたドラマ作品「だが、情熱はある」が先日最終回を迎え放送が終了した。

このドラマは、お笑いコンビのオードリー若林正恭と南海キャンディーズ山里亮太の半生を描いた作品である。
なぜこの二人なのか?
彼らは2009年から「たりないふたり」という名前でお笑いコンビとして活動おり、人見知りで社交性・恋愛・社会性の「たりない」二人が、互いのコンプレックスを題材に漫才を行っていた。

彼らは2021年「明日のたりないふたり」と題したライブを以て解散した。

「明日のたりないふたり」は、2009年から歳を重ね、社会経験を積み、彼らの人生においてさまざまな変化を迎えた中行われたライブだった。2時間の即興漫才を彼らは披露し、それは最早漫才を超越したエンターテイメントだった。
コロナ禍の影響で無観客の中でのライブになったが、オンラインライブのチケットの売上枚数は5万枚を超え、大盛況で幕を閉じた。
僕も、このライブを見て笑い、最後には涙を流していた。

僕はオードリーの若林正恭という男が大好きだ。彼は僕に沢山の笑いを届け、沢山の人に出会わせてくれ、そして沢山の絶望から救ってくれた。

なので今回はその感謝のお手紙というか、なんというか。まあ、色々と若林さんを通じて、いろいろな出会いがあったなというお話をしたいと思う。(山ちゃんごめんよ)

若林さんに出会ったのはいつだろうか。
2008年のおもしろ荘でテレビに初出演し、同年のM-1グランプリで見事に準優勝を果たしたオードリーだが、その時僕は小学3年生。その劇的な瞬間は僕の記憶には残っていない。

いつのまにかオードリーがいたという感覚に近い。そして彼らの「ズレ漫才」は、自然と頭の中にインプットされていた。
僕からしたら、彼らはすでに「売れている」芸人の1枠だった。

僕と若林さんとの本当の出会いはいつ頃になるだろうか。明確に覚えている記憶を遡ると出会いは、2017年3月17日だった。
僕が初めてオードリーのオールナイトニッポンを聴いた日である。

僕はそもそも乃木坂46のファンで、その流れで乃木坂と一緒に番組をしているバナナマンのラジオのファンだった。
深夜ラジオの文化に片足を突っ込んではいたが、オードリーのオールナイトニッポンは聴いていなかった。一回試しに聴いたことはあったのだが、知らない芸人の名前ばかり出てきてついていけなかった記憶がある(今ではわかる、ゴンちゃんにTAIGAさん。笑)

そして、2017年の3月17日に久しぶりになんとなくオードリーのラジオを聴いてみた。面白かった。
若林さんが「アタック25」のMCをやってみたいと言って、カスキンとお互いに「アタックチャンス!」を言ってみようという話をしていたのを覚えている。それから、若林さんが高校時代に通っていた中華料理店の「ポークライス」が年に何回か食べたくなるという話をしていて、今でも記憶に残るくらい面白いトークをしていた。

それからは毎週聴いた。
オードリーのラジオは、お笑いの中にたまに考えさせられる話が放り込まれる時がある。その類の話を聴いていると、若林さんの言葉の選び方や考え方がとても自分の肌に合っていることに気づいた。そして共感することが多かった。

若林という男はよく悩む。些細なことでも、人よりよく悩む。
だが、若林さんの素敵なところはその悩みを、興味関心に変換するところだ。
その悩みの種の源流を探るのだ。本を読み、時にはフィールドワークをして自分の体験から答えを導き出していく。
その過程をきちんとラジオだったりエッセイだったりで隠さず発信してくれる。その過程をこちらが知ることによって、彼の人間的な変化をリアルタイムで感じることができる。

それはある種、彼と同様に僕も同時に変化しているということに気づかせてくれる。そして、人生の先輩として道標になってくれる。

僕は彼のエッセイが好きだ。辛くなった時何度も何度もどん底から救い出してくれた。
彼の3冊目の著書「ナナメの夕暮れ」の中に収録されている「ナナメの殺し方」というエッセイの中で好きな文章がある。

“好きなことがある”ということは、それだけで朝起きる理由になる。
“好き”という感情は、“肯定”だ。
つまり、好きなことがあるということは、“世界を肯定している”ことになる。


他人の行動の変化を批判したり、夢を冷笑したりするのは簡単だ。そのようにしないと安心できないのである。自分の現在を否定しかねないからだ。
その気持ちもわかる。そのような人を見ると、自分は何を糧に現在を生きているか見失いそうになる。
だからこそ、そんな他人への価値下げからは「さようなら」して、自分の気持ちに正直になったほうが自分のためになる。そして、自分の「好きな」ことに目を向けていけば自ずと生活に色彩を帯びていく。

僕は「ナナメの殺し方」を読んでから、簡単に他人への価値を下げるようなことを発言しないようになった。 
考え方、遊び方、人との距離の取り方、言葉遣い、その人を体現する様々な要素が自分と例え合わなくたって、「そういう人もいるんだな」と区別して物事を考えるようになった。
他人への価値下げは、いずれ自分に返ってくることをこの本で学んだ。

ナナメに物事を見ないように意識するようになったのは、作家の西加奈子さんの影響もある。
西さんの他人への接し方や距離の取り方は、多くの人を魅了するものがある。
それは作品を読んでいても、西さんの話し方・考え方を見ていても十分に伝わってくる。
西さんと出会わせてくれたのも若林さんだった。

若林さんには、多くの映画や小説にも出会わせてくれた。
「トレイン・スポッティング」「キッズリターン 」「8mile」「限りなく透明に近いブルー」。僕は映画を観ることや小説を読むことが好きになった。趣味の幅を広げてくれた。

こんな大人になりたい。こんな風に心境や環境の変化が起こる人生なら年を重ねて見るのも悪くないのかな。そんな風に思わせてくれた。

感謝しかない。
僕は歳を重ねることが楽しみになっている。

そして、若林さんがエッセイやラジオで内側の部分を開示することで僕は救われてきた。おかげで人の内面やその内面を形成した背景に興味を持つことができた。おかげで以前より人を好きになることができるようになった。

芸人として売れない時代、苦しくて辛くて惨めで恥ずかしい思いを誰よりも一人で抱え込んでおり、社会や家族からは見放され、外の世界に恨みを抱いていたからこそ、「わかる」気持ちがある。辛さに寄り添える「優しさ」を誰よりも持っている。
それは芸人として売れた現在でも、当時の気持ちを忘れずに持っている。

それからというもの、僕も内面を吐き出したい気持ちが芽生えた。行き場のない思いを吐き出す場所が欲しくなった。
だからこのnoteを始めた。
自分の気持ちを吐き出すことの楽しさや文章を書くことの楽しさに出会わせてくれた。


これからも、沢山僕のことを救ってください。
同時に僕も誰かのことを救える人間になっていきたいと思いますので。


おやすミッフィーちゃん。

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