76.物の存立条件

おはようございます。


この連日の雨で、秋が一気に深まったような気がする。



今日は、最近読んだ新渡戸稲造著の自警録より、スッと入ってきた文章を紹介したいと思う。


人がある言葉を用うれば、ただちにその反対の意味を排除するものではないことを説くのである。
 およそいかなる物でも物として表裏なきものはあるまい。いかに薄き平面にても苟も実物である以上は必ず表と裏とがある。表裏なき表面は、幾何学上に現れた理想的の形たるにとどまる。幾何学上に称する点や線などは大きさなきものと説いてあるが、しかし針の尖でさえも一分一厘の何分の一というように必ず量り得る大きさを有するものである。線にしてもまた長さのみありて巾なしというのは、幾何学上の理想たるにとどまり、実際目に見ゆるものであれば、必ず測り得るものである。ましてある面積を有する平面を備うるものは必ず両面がある。雁皮紙のごとき薄い紙でも表裏はある。綿入、袷はいうまでもなく、単衣さえも表裏がある。独り衣服のみに限らず、一家においても表もあれば裏もある。人体においても表と裏があって背と胸とになっている。ゆえに表裏はあらゆる物の存立の必要条件なることは、あたかもなにごとにも内外の区別あるに同然であって、むかしの人はなにものによらず必ず陰陽の二様に考えたると同じであると思う。
『自警録』 新渡戸稲造 p157-p158


長々と引用してしまったが、僕の中にスッと入ってきたのは、

表裏はあらゆる物の存立の必要条件なること

という部分である。


物事には、表と裏がある。
とよく言う。実際にその通りだと思う。
それでも、この言い回しは、なんというか、語感があまり好きではない(めちゃくちゃ抽象的)。
表と裏があるから、しゃあないんや、みたいな投げやりな印象を受ける。


人間関係や思想でもなんでも共通することだと思う。
ずっと良い部分(表)だけを見てきて、これが本当の姿だと思い込んでいた矢先に、悪い部分(裏)を知ってしまい、自分をなだめるかのようにこう言う。
「物事には、表と裏があるんや(、仕方がない)」
とどこか陰鬱さを感じる。


一方で、表裏があることが物事の存立条件だという前提でいると、物事の悪い部分を知った時に、
「わお、ついに裏が出てきたか(、笑笑)」
と少し待ってました感を感じる。



非常にあいまいな説明をしてしまったが、何を言いたかったのかというと、

今までは、

物事 ⇒ 表裏がある

という認識だったのが、

表裏がある ⇒ 物事

という図式に入れ替わったことが大きいということだ。

つまり、表しかないもの、一部分しかみえていないものは、物事ではないという考えの方向性が生まれたという事だ。
一見同じようなことを言っているようで、自分の中ではだいぶ違う。


物事は、物質、仕事、人間など、世の中にあるすべてのものを含む。
人間で例えると、

「人間は、表裏があるのものだ。」

「表裏があるから、人間だ」

という図式に変わった。

後者の方がなんとなく、前向きでポジティブな感じがする。
悲観的に見えて、じつは結果的には、楽観的。

めちゃくちゃ優しくて、めちゃくちゃ頼りになる人が、(自分の知らないところでガンガン悪口言っていたり、)過去にどえらい闇を抱えていたりするのを知ると、
「いよっ!人間成立!」
と嬉しくなるということか。

逆に全く欠点や悪い部分が見えなかったら、その人はまだ信用しない方がいいはず。裏の部分が見えて初めて真の人間になるのだから、それまでは「いや、おかしいぞ」と疑う心を持つことが必要かもしれない。


一方で、悪い部分が表として目立っていたとしても、その人が人間として存立している以上、必ず良い部分があるはず。人間の裏の部分というのはなかなかすぐには分からないものだと思うので、長い目で時間をかけて裏に隠れた良い部分を探すことも大切かもしれない。いずれ見つかるという希望ではなくて、確信をもって過ごす。

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