96.ばあちゃんと墓参り


こんばんは。

今日は、ばあちゃんの弟の奥さんであるみっこさんに誘われて、
京都までばあちゃんの妹のお墓参りに行ってきました。
(ややこしい。いまだにばあちゃんの家族構成がよくわかってない。)

生前に会ったことはないが、よくばあちゃんの口から妹の話が出ていたので、名前は知っていた。
ちなみにみっこさんは、義理の姉で一人で暮らすばあちゃんの面倒をよく見てくれている。

京都でお墓参りに行き、そのあと近江八幡でランチを食べて帰ってきた。
ばあちゃん90歳、みっこさん72歳のおばちゃまコンビに26歳の若造の僕がジョインさせて頂いていた形。
けっこう面白かったので、感じたことを書いていく。

・近所のお母さんに初めて話しかけらて嬉しかったと同時に、少し戸惑う

これは家を出てエレベーターの前での話。
隣の家のお母さんと一緒にエレベーターに乗るときに話しかけてもらった。
僕はマンションに住んでいるが、あまり近所付き合いはなく、隣の家の人がどんな人かはよくわかっていない。昔のような村社会的付き合いはほぼなく、近代的な近所付き合いの典型だと思う。
家を出てエレベーターの前にいる赤ちゃんを抱いたお母さんにおはようございますと挨拶をして、靴紐を結んでいると、

赤ちゃん母「いつも散歩してますよねえ?」
と声を掛けてきた。
わい「はい、そうです」
赤ちゃん母「なんか身体鍛えてたりするんですか?」
と聞かれ、
わい「特に鍛えてるわけじゃないですけど、、、、なんか気持ち良くて」
という少々気持ち悪い答え方をする。
赤ちゃん母「ああ、、、」
みたいな塩反応になり、
わい「(散歩が好きってなんか言いづらいよなあ、、、でも気持ち良い意外特に理由ないし、違うこと言うとそれは嘘やからなあ)」
と心の中でささやきながら、
わい「え、どこで見られたんですか?」
聞くと、
赤ちゃん母「子どもの帰りを迎えに行ったときに、見かけました」
わい「ああ、じゃあ夕方くらいですかね~」
赤ちゃん母「そうです~」
わい「ああ、見られてたかあ~照」
赤ちゃん母「あはい、失笑」
(エレベーターが1階に着く」
わい「じゃあ、また」
赤ちゃん母「いってらっしゃい~」

という会話をした。
まず、初対面やけど声をかけてもらえたの素直にうれしかった。僕はまったく話をする気がなかったが、僕から挨拶をしたことで話しかけてもいい感が出ていたかもしれない。
普段の行動を突っ込まれるのは、こそばゆい感じはするけど、でもちょっぴり嬉しい感じ。なんなんやろうこの感じ。
ご近所さんやから、少し親しくなれたのはうれしい。

・お墓参りの仕方が自分のやってきたやり方と違って、新鮮だった。

僕は今まで自分の家のお墓参りのやり方しか知らなくて、勝手にそれが一般的なお墓参りの作法なのだろうと考えていた(お墓参りに限らず、自分のお家のやり方が世間では当たり前だという無意識の感覚は、ままある。)
しかし、今日ばあちゃんの妹のお墓参りに行かしていただいたことで、宗派や土地、お家などによってお墓参りの作法は異なってくるという当たり前のことに気づかされた。
卒塔婆を買ったこともないし、葉を供して一番綺麗な葉を墓石の前のくぼみに裏向きにお供えするとかも全く初めてだった。
お寺の人に卒塔婆に文字を書いてもらって
「うお、初めてや」
って感心してそれを見てたら、
「あの、お心持頂いてもよろしいですか、、?」
と言われ、
「お心持ってなんですか?」とストレートに聞き返してしまった自分が恥ずかしい。
その質問をして、答えに窮しているお寺の人を見て、察した。
「あっ、お金ですね。すみません」
と料金を払った。当たり前やあほ。ただなわけあるかい。
その後も、
「お気使いさせてすみません~」
と何度も言われ、申し訳ない気持ちになった。

お家によっていろんなお墓参りの仕方があると気づけたのはうれしかった。
お墓参りに対する考え方や作法ひとつを見るだけで、
「この人は、ご先祖様を大切にする人なのか?」
となんとなくお家のご先祖様に対する想いや考え方が分かるような気がした。僕はご先祖様やお墓参りは大切にしたいがゆえに、他の人たちがどのような想いややり方でお墓参りをしているのかは気になる。
将来のお嫁さんを選ぶ時にも、そういう部分も注目したいな思う。
もし、養子に入れば、違うお家文化にどっぷりつかることができて面白そうだなとも思った。
名字が変わるってどんな感覚なんやろう。
昔の武士とかは、元服やらなんやらで名前をコロコロ変えることがあったけど、現代では名前が変わることなんてめったにない。特に、お嫁入りが慣習としてあったので、男性の名前が変わることは少なかったと思う。
もちろん自分の名前やご先祖様、お家の文化は尊重するし、それが自分の根幹にあることは他ならぬ自分が一番感じ取っている。
そのうえで、お嫁入りに限らず、お家を跨ぐことって、面白いこともあるのではないかと思った。めちゃめちゃ大変やろうけど。
違う自分になる感覚なんかな。少なくとも変わるときは覚悟要るよなあ。
もちろん嫁姑関係など問題はいっぱいあると思うけど、見方を変えれば、全く異なる文化を知れるという意味で面白いかもしれない。
そんな簡単な話じゃないやろうけど。

最後にばあちゃんが水汲み場のお地蔵さんにお水をかけて手を合わせていたのを見て、信心深いんやなあと思った。他にも、お寺さんでおトイレするのはなんかいややわ~と言っていて、そういう感覚なんやって思った。僕は便意感じたら、全然どこでもトイレ行くけど。
こういうのって普段の心がけと作法がでるよなあとも思った。

・自分基準での思考、発言に少し反省

お墓参りが終わり、バスに乗り、その後電車に乗ることになった。
そこで、みっこさんに電車の時刻を調べてほしいと言われ、調べた。
京都駅に着いたらお手洗いに行きたいという事だったので、それを考慮した列車時刻を伝えたつもりだったが、それでもお手洗いにいく時間はないと言われた。ああ、自分の基準で考えて、伝えてしまったと思った。
このへんの配慮は少し難しいところではあるが、これからばあちゃんを含め、年老いた親や、高齢者の方と接していく上では必要になってくるいたわりの部分だなと感じた。


他にもいろいろ感じたことがあったのだが、ランチの近江牛のせいで胃もたれして書くのがめんどくさくなったので、これくらいにしておく。

牛肉はやっぱりしんどいな。。

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