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日々のまにまに(日々雑記)

「狐」

私は子供の首を絞めて居る。
理由は知れない。悪さをしたのか。心中か。
妻はぴくりとも動かず台所にへたり、ねめ上げるようにこちらを見ている。
ああ命じられたのだ。
殺さなければ妻は去る。このこは私の連れ子なのだ。殺さないといけない。腕に力が込もる。殺さないといけない。
子供はにこにこ笑っていて、其の首は鋼のように冷たく、固い。汗ばむ手。子の首は冷たい。
妻の心も冷たい。私の心も。
子供は笑い乍ら冷たくなっていく。
笑い乍ら。
そうだ初めから死んで居た事にすればよい、そうだろうと振り返ると妻は居ない。限りない草の穂が月明かりに青白く映える。手には石地蔵の首が握られて居る。
私は結婚していない。ましてや子供など居ない。

「海流」

私は一羽の渡り鳥になっている。太平洋を行ったり来たり、ひたすらにつづく海を眺めながら、半年かけて日本に渡る。日本ではちっぽけな池に降りる。たくさんの子供たちが居る。両羽根を懐に仕舞い、子供が集まってきたところで土産話がはじまる。
海を見たことの無い子供が聞く。海の水はどこからくるの?私は答える。アメリカの西海岸にでっかい蛇口があって、そこから流れてくるんだよ。別の子供が聞く。水道代は誰が払うの。…大統領に決まってるじゃないか。
子供たちの夢が出来上がると、そそくさと羽根を取り出す。丁度吹き上げる気流に乗れ、手を振る子らが胡麻粒のようだ。
長い長い旅。
やがて遠く霧の中に、鈍色の巨体が見えてくる。どおん、どおんと水塊の落ちる音が厳かに轟く。ああ、鋼の蛇口だ。
本当にあったんだ。
自由の女神よりでかい。

「飛んできた壷」

ぼうっと中天を見詰めていると黒くて丸いものが浮いている。すうっと近寄ってきてわかった。
壷だった。
両手の間に、すとりと落ちる。
覗き込む。「宇宙」があった。
宇宙を汲んだ水壷がやってきたのだった。
早速骨董屋に十万で売る。
「珍しいものですねえ。壷よりも中身だ。こんなものは滅多に出ないねえ」
しかしその晩怒鳴り込んでくる。宇宙が抜けてしまって、只の壷になってしまったという。
そうさ、そのはずさ。星も月も、夜は天に昇ってしまう。当たり前だろう。
結句手元に戻った壷を窓際に置く。
朝も近づくと、ひとつ、そしてひとつと星が吸い込まれ、やがて無数の銀砂を巻いた漆墨の闇が、ごうと流れ込んでくる。竜巻のような蛇流が立つようになるが、それも朝日と共に弱まっていった。
壷は静まる。覗き込むと、天の川が見える。流れ星ひとつ流れた。
目を離す。にんまりと笑う私の前に、壷は、ふいと浮いた。すうっ。来たときと同じように、蒼天へ昇っていってしまう。元より止める隙も無く、唖然の私は眠い目を擦りながら、壷のあったあたりを眺めるしかない。僅かに零れた闇の粒の中に、星のかけらが光っているのを見つけた。
これでも千円にはなるだろう、と思った。

「病院」

瞼が開かないのよ
尻を降ろすと椅子が大きく軋んだ。錠前付きの瞼など初めて見る。
鍵は御主人が?
あら鍵を閉めたままだったのね。
不眠だから鍵をして寝るのよ。
ご夫人は立ち上がりざま囁くように言った。
評判どおりの名医ね。
**********
咳が止まりません。
今度は初老の紳士だ。灯を差し入れると、喉の奥から小さな目玉がきょろりと覗く。
ハムスターをお飼いで?
ああ、出すのを忘れていたよ。夜逃げるといけないから、飲んでおいたんだ。
下剤を処方する。
***********
抜け毛がひどいんだ。
今度は僧侶だった。
毛など必要無いのでは?
ああそうですね。
手間が省けるといったものだ。
ありがとう。
合掌して別れる。

楽な商売だと思うだろう。しかし苦痛なのだ。何しろ私は医者じゃない。
私は、檻の中。いつになったら出られるのだろう。
さあ、ドクター、お食事よ。
猫撫で声の看護婦が、背をこづく。
拍子、私は電器屋になる。
仲間たちの頭のねじを回そうとして、手錠をされてしまった。

「超能力」

小屋に入ると狭い舞台に、はしたなく座る女が居る。ぼろ着の裾がはだけるのも構わず、天井を見上げ、漠と口を開けて居る。
客はまばらで皆黒い顔をし黙っている。
女の口から、しゅうという音がし始めた。舌が長々と突き出され、赤白い肉塊が突き出してくる。でろりと垂れる赤肉の管は、やがてどたりと床に落ち、粘液を垂らし乍ら、ずるずる座の周りを囲んでゆく。途中膨らむ処や青筋の立つものもあり、手が込んでいる。
女の腹は見る見るうちに凹んでくる。暫くして飛び出す臓器は細長いホースの様な管に変わった。それは今までに無く勢い良く飛び出してきて、黄色い粘液を振り撒く様が水芸を思わせる。
黒い男たちがぐっと寄った。拍手が起きる。女は両手を挙げ笑う。
腸能力とは馬鹿らしい。大方造り物だろう。

「百合の中」

路傍に白百合が咲いている。
見慣れぬ蒼い蝶が停まって居たから、
そっと手を伸ばして捕らまえる。
ぱたぱた、と空しく風をきる蝶の羽根。
毟る。
無残に散る薄片。後に残ったのは、単なる芋虫。二度と成虫には成れない芋虫。
私はそれを百合の壷へ押し込む。魚より下等な生き物に痛覚は無いというからそれ程殺生な事でも有るまい。
そうして少し間を置いて、中を覗いた。
眼鏡を掛けた中年男が居る。
デスクに向かって疲れた手を動かしている。
嗚呼、私だ。
嗚呼、私は泣いている。

(1999/2000六本木フリーライター養成教室卒業生作品集より)

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