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当たり前が当たり前じゃない話 -努力できる人とできない人-

沖縄に来て2日が経ち、(早くも!)ゲストハウスで起きて一服して、近くのカフェで勉強して帰ってゆんたく(沖縄で「宅飲み」みたいなこと)するみたいな1日に慣れてきました。

今回は別に長文じゃないけどこっちで感じたことを1つ書いておこうと思います。

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突然だけど。
今まで、高校・大学とかで周りにいた友達を見渡してみます。


スポーツでも勉強でも、その他様々な分野においても、自分の目標をしっかりと掲げて努力を積み重ね、(それが成功に終わったとしても失敗に終わったとしても)最後には「やりきった!」という顔をして次のステージに進む人が多い気がします。

そういう人って自分と向き合ってるし、苦悩とか悩みと戦ってる分かっこよくて、それが大きければ大きいほど惹かれるなぁって純粋に感じるのです。

だから、なのかもしれないけれど、

「何か自分で目標を決めて、それに向かって努力をする。毎日やるべきことを積み上げていって最終的には結果を残す。達成する。」
(達成できなくても、何かしら成長する。昨日出来なかったことを今日実現する)

っていうことは、まぁ当たり前、といったら言い過ぎだけど割と「みんなやってること」として認識しがちになってた部分がありました。

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でも、こっちでゲストハウスで楽しそうに過ごしてる人見たり、街の人と話したりすると、それって全然当たり前じゃない!ってことをひしひしと感じます。

つまり、「なんかぼんやりと目標とかやりたいことはある」けれど、「それを達成するために、必要な行動を分解して、努力を積み上げる」っていうことが

まず発想としてない

っていうことです。

これ、例えば「カメラマンとかやってみたいんだよね〜。」って言ってても、そのためにどういう技術が必要で、どんな機材が必要で、どんなキャリアパスがあるのかわかってない。ってことだし、もっと根深いところを言えば、

努力をする意味がわからない(しても意味がない)(しようと思わない)

そもそも、その理想に向かう道筋が立てられない

みたいなことなんですよね。


これ、批判してるわけではなくて、このことには様々な理由が絡み合っていると思ってて、今思いつくだけでも、

努力して成功した体験がない/抽象的な理想を具体的なアクションに落とし込むことができない/キャリアパスがなく、実現可能性がなく感じる/そもそも思いが強くない/情報がない/機会がない

とかいっぱいあると思うんですよね。

でも、その中でもやっぱり「積み上げる」っていう発想「自分を高める」っていう発想がないことがかなり、クリティカルなんじゃないかなーって思って、それは本当にその人のせいなのかなー?って。

しかも、世の中出たらそっち側の人たちの方がボリュームはある。つまり、俺が今まで出会ってきた「努力できる人」って割と希少で、「そうじゃない人」にどうやって頑張ってもらうか、視座を上げてもらうか、動いてもらうかが非常に大切なんだろうなーと思いました。

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すごく、雑な文章になってしまったけど、備忘録として書いておきました。

まぁ別に、今楽しいなら努力なんてしなくてもって思うし、でもやっぱり自分はできること増やしていきたいなー、なんて思うのでした。

以上!

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