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『嫌われる勇気』

この本の主なテーマは「目的論」。フロイトなどが提唱する「原因論」とは全く別の概念である。

この目的論とは、今自分が持つ感情や行動が「自分が何をしたいか」という目的によって引き起こされているというものである。つまり、「A君の〇〇なところが嫌い」という感情は、「A君を嫌いたい。」という目的により引き起こされているというものだ。

これを延長して考えていくと、自分の行動や感情は全て「自分」が握っているということが言える。つまり、「時期が悪い、環境が悪い」などという言い訳は、「コンフォートゾーンを抜けたくない。」という自分の内にある目的を具現化した自分の言動にすぎない。過去の経験やトラウマというものは所詮は「過去」であり、それを変える・変えないの鍵は全て自分が握っているのだ。

そのようなことを聞いても、多くの人がよく人生や社会について悩んでしまう。しかし、人間の悩みは全て「対人関係に行き着く」ということが言える。というのも、「自分のことが嫌い」などという類の悩みも、結局は「誰かと比べた際の自分が嫌い」なのであり、それは劣等感から来ているものだからだ。この劣等感をなくす鍵は、「受容」そして「使用」である。今現在の自分のありのままを「受容」し、それをどう「使用」していくか(もしくは向上させていくか)が重要なのであり、変えられないものを嘆いても全く意味がない。この変えられないものには「他者」というのも当てはまる。自分の行動や言動は、今すぐに変えることができるが、それによって他者がどう思い、反応するかは自分には決められない。それなのに、相手から見返りを求めたり、相手の評価を気にしたりしていると、さらに悩みは深まることになる。大切なのは、「自分の課題」と「相手の課題」を切り離して考えて、自分に変えられないもののことは気にしないということである。

そして、他者がどう思うかというのは自分には分からないからこそ、「承認欲求」や「他者・社会にどう見られるか」を気にして生きるのは無駄なのである。「自分は行動を変える、そして他者がどうするかはその人次第。」という考え方が、本当に付き合うべき人や仲間を作り出してくれる。

「そのような生き方は幸せか?孤独ではないのか?」という質問に対しては、アドラーは、「幸福=共同体感覚」という方程式で答える。つまり、「自分には居場所があり、この世界の中で自分には価値がある」と思えることが幸せなのである。これがなぜ、先ほどの目的論に繋がるかを説明する。

→「ありのままの自分を受容」して、かつその自分で他者と関わり、見返りを求めずに生きることで、他者が「仲間」だという意識が芽生える。つまり、ありのままの自分を受け入れるからこそ、他者は「競争すべき相手」ではなく、「お互いに違いを認め合い、高め助け合う仲間」になるのだ。そして、その状態で他者に貢献しようとする、貢献しているという感覚を得られることが、まさに「共同体感覚」であり、「幸福」なのだ。まとめると、「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」この3つがあれば、人は幸福を感じることができる。

ここまでを踏まえて、未来や過去にとらわれず、「今」に強烈な焦点を当てて生きることが幸せに繋がる。「過去があったから。」、「未来は絶対こうなっている。」というような認識は必要ない。人生は「線」ではなく、「点」の連続であり、「今」という「点」を一生懸命生きることで、「いつのまにかここまで辿り着けた」という感覚が芽生える。そして、「特別であろう」とする必要もない。人間というものには、「注目や人気の高低」はあるが、「個性の優劣」は存在しない。どの個体も、それぞれ違っており、「普通」であることの勇気を持つことが大切なのだ。


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