観光学的視点を交えたインド旅 その3

2日目:スラムツーリズム。

Booking.comでデリーのホテルを予約したら、おすすめアクティビティとして出てきたのがスラムツーリズム。口コミを見ると、must visitだ、と高く評価されていたこともあり、参加を申し込んでいた。6月に出張で訪問したバンコクでもスラム街の実態を見ていたこともあり、インドでもスラムの実態や観光が果たす役割を学びたかった。

当日朝、待ち合わせの地下鉄駅に、バイクで現れたインド人ガイド。聞くと、今日の申込みは自分1人のみ。このバイクに乗って連れて行くぞ、とのことだった。まさかインドで原チャリ2人乗りをすることになろうとは。海外でバイク、人生初である。

地下鉄駅の近くにスラム街が広がっていると思っていたのだが、そうではなく、バイクで15分くらい走らせた場所にあるらしい。

幹線道路を少し外れたところにあったスラム街への入り口。一気に空気が変わり、殺伐とした雰囲気になった。到着するや、大量のハエ。口を開ければすぐにでも入ってくるレベル。明らかに異様な光景で、ショックを受けた。ガイドは周りの住民に「今日は日本から来た客だ」と説明を続け、スラム街へと案内していく。少し歩くと、鉄道線路に当たる。この線路沿いには大量のゴミが捨てられ、ここに多数の人が住んでいる。老若男女、特に子供が多い。ガイドと歩いていると興味津々にこちらを見てきたり、付いてきたりする。だんだん分かってきたのだが、決して物乞いをして金銭を奪おうとするような子供たちではなく、ただ興味があるようだ。彼らにとっては、ある意味、外国人が来ることが非日常なのだろう。ガイドの振る舞いについて、幾つか興味深い観察ができたので、備忘録的に書いておきたい。

ガイドが凧を買う
インドでは凧上げをして楽しむ子供の様子が目立った。スラム街で突如ガイドが凧を買い、それを子供たちに配っていた。ガイドが凧を買ったことが分かると、あらゆる方面からそれを求めて子供たちが寄ってきた。きっと「凧を買ってくれるガイド」という認識が彼らにはあるのだろう。観光客が来る=凧を買ってもらえる、という構図は、自ずとスラム観光に対するスラム街住民の理解を得ることに繋がっているのではないか。

日本の話を聞かれる
首からカメラをかけていたのだが、ガイドからその値段を尋ねられ、金額をスラム街の住民に説明していた。チャイを提供する店では、日本におけるコーヒー1杯の最低の金額を尋ねられ、同じようにスラム街の住民に説明していた。日本人の労働時間についても聞かれた。

途中の商店で商品を買わないかと勧められる
決して強制するようなものではなく、ガイドに、もし興味があれば何か買ってみないか、と案内を受けた。その際に、必ずスラムに住む人達の生活のためにも、という説明とともに。途中で気づいたのだが、このガイドはスラム出身ではなく、スラムツーリズムを主催する旅行会社の人間だ。スラムツーリズムを通して地元の経済に多少なりとも貢献できるよう、客にお店を紹介しているようだ。ただ、決してそれは強制するものではない。自分自身も、全く抵抗なく、インドの国旗柄のスカーフを買ったりした。ビリヤニ(料理)を食べたり、チャイを飲んだり、更にスラム街の中の美容室でヘッドマッサージを受けたりしてみた。
いわゆる旅行会社がお土産屋さんに客を連れて行ってキックバックを受けるという手法とは全く異なっており、何の嫌味もなく、ほんの僅かな金額ではあるが、幾つかのスラム街でのサービスを受けた。これはガイドのスラム街に住む人々への思いだったり、観光客への接し方、人柄に依るものなのかもしれない。

鶏をさばく少年の様子を見させられる
生きた鶏をそのままに、首を落とし、羽をむしり取り、解体して鶏肉にしていくまでの行程を小さな少年がやっており、その様子をじっくりと見るよう言われた。正直なところ、かなり衝撃的な映像ではあり、目視するのは辛い。しかし、ガイドが伝えたかったのは、このスラムでこうして生きていく少年の姿だったのだろう。スラム街に住む現実を見た。

途中、ガイドになぜスラムツーリズムを行っているのかを尋ねた。逆に、スラム街を見て何を感じたのかを話してくれ、とも聞かれた。ガイドと私の議論である。
なぜ日本の話を聞いたのか。それは、スラムに住む人達に、夢を持ってもらいたいからだ、と答えた。彼らはここで一生懸命生活をしている。頑張ろうとしても環境がそれを不可能にしてしまっている。だけれども、諦めて欲しくはないし、外の世界も知ってほしい。だから日本ではカメラが幾らなのか、コーヒーが幾らなのか、労働時間がどれくらいなのかを伝えたい。

この話に自分は衝撃を受けた。これがこのスラムツーリズムにおける観光の役割なのだ。スラムツーリズムによってスラム街の経済を支える、とか先進国―後進国のヒエラルキー的議論でスラムツーリズムが批判的に捉えられたり、ある意味では安易に想像できる範囲を大きく超えた話がここにはあった。

観光は交流だ、とはよく聞く話である。そこで言う交流とは、観光客が地域住民と交流して地域の文化を知る、という意味であった。スラム街に当てはめると、スラム街を訪問することでその地域の生活を知るということになる。しかし、交流には双方向性があって、交流した地域住民にも影響を与える。よく言われるのは愛着とか地域に対する誇り等という、やや曖昧な議論である。しかし、スラムツーリズムが見た交流は、観光客の住む世界の文化などを受け入れ側が知るというものだった。想像を超えた観光の役割をここに見いだせた。

観光を専門に研究をしている者として、観光が与える地域への負の影響にばかり目が行く昨今、観光とは何なのかが分からなくなっていた。結局のところ、お金稼ぎの手段でしかなく、他の代替する産業への期待ができないから安易に観光に走るような、そういう自治体の様子や、あるいは食べ歩き、SNS映え、流行に乗るだけの観光に満足する多くの人々の観光行動を見ても然り、観光に対する不信感を持たざるを得なかった。
ところが、今回のスラムツーリズムで見た、想像を超えた観光の役割は印象的なものだった。成熟した社会における観光と、社会的な問題を抱えた地域での観光とでは、こんなにも意義が異なり、後者における観光の議論や研究をもっとしてみたいと感じた。そして、学生も引率してスラムツーリズムを実感してもらいたいと思った。


スラムツーリズムを終えた午後は、地下鉄で移動。この地下鉄、入場時に手荷物検査とボディチェックあり。そしてそれを待つべく長蛇の列。日本人の感覚の、何時何分の電車に乗って何処何処に行こう、というのはまず無理で、公共交通としては利便性が高いとは言えず。だからこそリキシャやタクシーのほうが使い勝手がいいのかもしれない。そしてニューデリーを散策。外国人は目立つのか、とにかく客引きが多い街であり、無視して歩き続けるか、少しでも会話をし始めてしまったら(彼らは付いてくる)どう切り上げて(振り切って)1人になるか、なかなか大変であった。

出会った人:スリランカ人。突如後方から「この街は人と人の距離が近いですねぇ。私の国ではそんなことはありません」と話しかけてこられる。そう言われると「どこの国?」と聞きたくなる(そういう作戦か)。しばし話し続け、明日からバラナシに行くというと、インドの伝統衣装を来たほうが良い、今から買いに行こうと言われ、これはマズいと察知して元々行く予定だった土産屋に逃げ込む。一旦去ったと思いきや、土産購入後、再び出会ってしまう。その時は彼はリキシャに乗っており、今から行こう!一緒に乗ろう!と強く言われるも、強く断って無事退散。

出会った人その2:「暑いねえ」と話しかけられる。君の国もこんなに暑い?どこから来たの?と聞かれ、多少会話をした後に、どこに行くのかと聞かれたので、ちょうどこの建物の屋上にあるレストランだ、と答えて無事開放。

その他、相当な回数、日本語や英語で話しかけられるので、その覚悟は必要であろう。客引きをうまく交わす方法を予め何パターンか持っておけばよいのかもしれない。

#インド #デリー #leica #観光学 #スラムツーリズム

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