隣の芝はグリーンで
仕事をしていてふとした瞬間に
「何しているんだろう」とかそういう考えに至ることはないだろうか。
とても混んでいる満員電車やオフィスから抜け出した瞬間見上げた空がとても広くて解放感を感じたことはないだろうか。
選んで決めたはずのライフスタイルなのに
時々、後悔したり、SNSで見かけた友人の結婚報告や、生き生きしたプライベートの様子になんとも言えぬいたたまれない気持ちを感じることが、よくある。
こういう話を始めると、大抵友人も私も
人と比べても仕方ない。
大体の場合隣の芝は青いんだ。
という結論に達する。
とはいえ、最後は比べてしまって自己嫌悪になったり、劣等感てほどの重量感じゃなくても
「わたしってだめだなあ」とか自信喪失したりしてしまう。
それでまた少し頑張って、またのんびりして、他人と比べて、凹んで・・・。
こういうサイクルから抜けないと、
他人との比較で幸せになるんじゃなくて、
自分で自分を幸せにしないと、
ほんまのはっぴーにはほど遠いと思う。
私の回りには、少しルーズなところも自由すぎるところもあるけれど、しなやかに、強く生きている友達がたくさんいる。
自由にいきる、お金はないけれど、不自由もあるけれど、素敵なことをしている人には自然と人も集まる。
本当はそんなふうに生きてみたい。
けれど、若干の安定に目が眩んでいる。
自分の時間を、労力を、関心を
お金を対価に切り売りしている、感覚。
お金がある。少しだけ。
給料日前にはカツカツになる。
のたれじなないだけの、お金。
それをずっともらえるだけの仕事。
仕事がないひとが回りにいて、
いつ切られるともわからぬ職がある。
人と比べることが、
皮肉にも、いまの仕事を続けるモチベーションになったりする。矮小な自分。目の前の小さなことばかり比べている。もぎゃもぎゃ。
一長一短だよね、仕方ないよね。と自分をごまかしつつ満たされない日々。職場のPCに表示される、転職サイトの広告をみる。ついつい、クリックしてしまったりする。
どうしようもない日々を生きている。
気の持ちようがすべてなのかもしれない。
そういって、考えないようにしていようか。
気にしなければ、過ぎていく日々。
そこそこ好きな仕事とおつぼねがいる職場。
過去の自分といまの自分を比べるのが難しいのは
同じ体感で、判断できないから。
いまある私の思考で判断できるのは
自分のいまと他人のいま。
24さい。
飛び込むかわからないなにかに怯えながら
飛び込むかも決められないまま。
気持ちばかり,急いている。