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個人としての役割/チームとしての意識

皆さんこんにちは。

先日大きな仕事が一段落し、ここから年末までは何かとチームとしての活動が続いていく長野です。引き続き、出会った方々の心に何か1つでも優しくフワッと届けられるように頑張っていきたいと思います。

そんなわけで今日は、「個人としての役割/チームとしての意識」についてお話ししてみたいと思います。

個人としての役割

僕が考える個人としての役割、つまり僕のアクションを通して他者に与えられるものについてですが、

①驚きや発見を与えること。自分と対話することで他の人とも対話してみようとするアクションのきっかけになること

②「私だけじゃないんだ」という安心材料になること

これならできるんじゃないかと思っています。

それは実際の講演やイベントにしても、本やブログといった活字をメインとした媒体を使って届ける時も(スタンスはあまり変わりません)。

まだ車椅子ユーザーに会ったことがない人にとっては、僕の日常は自分とは関係ない”非日常”です。そうでなくとも僕のこれまではまぁまぁ波乱万丈ですから、なかなか自分事にする(想像を膨らませる)ことさえも難しい。

だからこそ、どうせ驚くなら関わってくれた人たちを「ポジティブな驚きで満たしたい」。(特に講演では)鬱になったとか、会社に勤めた経験があるから仕事に行きたくない人の気持ちがわかるとか、そういうネガティブな共感じゃなくて、「そういえばこの間空飛んで来ちゃった!」とか、「イベントを主催するって楽しいよ!」というように、聞いた人がポジティブでちょっとワクワクするような空間の演出家になりたいんです。

でも、本やブログのようにずっと残り、みんなが自分の好きなタイミングで閲覧できるメディアには、さりげなく失敗談も置いておくから、「1人じゃないんだ」って勝手に安心してね。

そんなイメージを持ち続けています。

チームとしての意識

「じゃあチームとしての意識は何?」と聞かれたら、その意識は常に持っていたいと思うのです。

例えば、今週は小学校でゲストティーチャーとして授業を行いましたが、僕にとっては1回きりのゲストでも、子どもたちには”先生”に見えているかもしれないし、先生方にとっては「ユニバーサルデザインプロジェクト」という単元の中の貴重な2時間(を託している存在)なんです。

よって、僕には次につながるパスを送る”使命”があります。それが信頼を生み、再びのご縁を引き寄せると信じています。

↑ちょうど1年前、Try chanceのサイト内【Ryo室日記】に公開した、オンライン授業に関する記事。


大きな仕事を終えて帰宅した直後、様子を報告したら、そこには自分のことのように喜んでくれるチームスタッフがいました。

「あぁ、僕はやっぱり1人で授業をしていたわけじゃなかったんだな」

呼んでくれる人がいて、聴いてくれる人たちがいて、常に気にかけてくれる人たちがいる。

主催しているイベントはもちろん、これから動き出す大人数でのプロジェクト、そして何より個人として声を掛けていただく講演活動の時でも…。

常にチームの名前を背負っていることを忘れず、チームとして何ができるか、チームの中で何ができるかを考え続けていきたいと思います。

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