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自分は狭い世界にいた

 1作目として出版した『僕にしかできないこと あなただからできることー障害を忘れられる瞬間を求めてー』(ジュピター出版株式会社,2019)

とは違い、その元となったいわゆる【原書本】というヤツは、実はかなりの長編でして、全4部6章→「本編タイトル数:72本/箸休めコラム:8本」から成っています。昨日まで本編:27本/コラム2本をお送りしてきました。

 ここまで読んで下さっている皆様、本当にありがとうございます。

 30本目となる今回からは、著作の中でも度々【ターニングポイント】として書いている「大学生活編」です。

 ここから私の人生はさらなる優しい光とともに、大きな広がりを見せ始めます。

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 高校を卒業し、初めて健常者が多数を占める環境で過ごす中で、すぐに気付いたことがあります。それは「自分は狭い世界にいた」ということです。

 肢体不自由者として何ができるのかを強く意識して大学生活をスタートさせた私ですが、それは過去の環境との違いを比較し続ける日々でした。

例えば、

・自分でカリキュラムを組まなければいけない

・全国から学生が集まってくる

といった全員共通のものから、

・授業のスピードが上がる

・先生が身の回りのことを手伝ってはくれない

といった特別支援学校出身者だからこそ感じる特別なものまで、多岐にわたります。特に後者は挙げればきりがありません。

 そんな数ある変化の中で、私が最も衝撃を受けたのは「意思決定の早さ」です。もしかすると皆さんの中には、特別支援学校の方が人数が少ないから物事を決めるのは早いのでは?と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実態は異なります。
 確かに特別支援学校の1クラスの上限は6人(特別支援学級は8人)と定められており、私が高等部3年生の時も2クラスでした。したがって、文化祭など学年共催の行事の会議等も最大12人で行うことになります。しかし、人数が少ないため多数決は基本的に禁止で(※適用しても通常のような効力を持たない)、全員が納得しなければ話し合いは一向に先に進まないのです。
 さらに、通常学級と決定的に異なるのは、同級生でありながら理解力には大きなばらつきがあるということです。当時、学級委員長を努めていた私は、1度全体に向けて説明をしてから、(「今の分かった?」と確認をし)再度その言葉や内容を噛み砕き、全員が理解できるように伝えることも少なくありませんでした。

 当時は物事を先に進めるための方法をそれ以外に持ち合わせていなかったため仕方ありませんでしたが、正直疲れ果てていたのは事実です。また、放課後に友達同士でどこかへ行くとなると、その日に向けて最低1カ月前から調整をし、(①各自が親に許可を取り、②全員の通院日を避け、③目的地で何をするか、といった)細部まですべてを決めて実行に移すことが”常識”でした。

 しかし、大学に進むと状況は一変しました。

(良くも悪くも初見では)皆、私よりも自分の方ができると思っていますから、当然話し合い等の進行を任されることなんてありませんでした。それは、これまで終始「引っ張って行く側」に明け暮れざるを得なかったから私にとっての息抜きとなり、なんて楽なんだろうと思っていたというのが本心です。とはいえ、「引っ張ってもらう側」になった私も(直近の6年間が功奏し)意見を言うことに慣れていないわけではありませんから、それなりの存在感は出せていたと思います。(※外見が異なるという特性により、意見を言うだけで一定の注目を集めるのです・・・・・・)

 最も嬉しかったのは、放課後に「クラスメイトといきなり遊びに行けた時」です。授業が午前中で終わった入学直後、クラスメイトの男子全員でゲームセンターに行き、プリクラを撮ったことは今でも鮮明に覚えています。(*ある意味ちょっと気持ち悪い・・・笑)

 とにかく毎日が斬新で刺激的で、濃密ながらもあっという間に過ぎていく。「こんなことがこんなにスピーディーできるのか」と驚きを持って受け止めながらも、実際にはまだ入学から1週間足らず。

 明日はどんなことが起こるのだろう、と毎日ワクワクしていたことを覚えています。

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