大人になってもこんなにダンボールに触れるとは思わなかった
在宅ワークになってから、仕事環境を整えるための家具や道具で、この半年間大きなダンボールが本当によく届きました。ダンボールから中身を出しては折りたたんでテープで縛る。そして、ゴミの日に出す。このサイクルだけで私の日常の少なくない時間が費やされているようです。
思えば子どもの頃のダンボールから連想するものといえば、広島の祖父母が送ってくれるみかんの箱です。1つのダンボールの中に大量のみかんがどっさり入っていました。冬場になると寒い廊下にでて、置いてあるそのダンボールの中からみかんを取り出します。そして、こたつの上で食べるのです。
今思い返すとその当時はいつしか「ダンボール」なんて昭和の産物になって、大人になった時振り返ると「なつかしいな」とノスタルジックなものになると思っていました。昔のトースターやブラウン管テレビのように。
ところがそんな予測に反して現状はどうでしょうか。ダンボールの触れない日がないといっても過言ではない毎日です。むしろ当時にも増してダンボールに触れる機会が増えて、その取り扱いや仕組みも十分に理解している毎日です。
これほどまで姿形が変わらず、むしろ活躍し続ける「もの」って他にあるのでしょうか?今パッと考えてもダンボールほどのものがみつかりません。
さらに驚くべきことはこのダンボールに変わる器も今の所見つからず、今後さらにその使用量が増え続けるという予測もあることです。
結局、わたしは生まれてから死ぬまでダンボールを使い続けるのでしょうか。そう考えると、たかがダンボール、されどダンボール。大切にリサイクルしないといけません。
ダンボールをかたしながら、そんなことをぼんやりと考えた一日でした。
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