見出し画像

サイゼで確認しあう自分らしさ

サイゼリヤに行きました。金曜の夜。妻とふたりで仕事おわりに。

駅前のサイゼリヤはまあまあ混んでいて、少し待ちましたが無事入れました。サイゼリヤ。初めて入ったのはいつでしょうか。高校生くらいのときかもしれません。高校の友人らとふらっと入って安いミラノ風ドリアを食べてえらく感動した記憶があります。

そんなこんなで超庶民である私たち二人はサイゼリヤに入ると、さっそくワインのランブルスコをボトルで頼み、小エビのサラダ、羊肉の串焼き、アルパラのソテー、クリーム系パスタ、エスカルゴ、ハンバーグ、エビグラタン、プリン、アイスとコーヒーゼリー、その他などを注文して優雅に食べました。ふたりで計5000円。

安すぎます。すごくおいしいかといわれるとそうでもないけど、まあまあおいしいし満足できる。これらを踏まえて、コスパだけを考えたら最強かもしれません。

わたしと妻はいつものようにお互いをののしりながら食を進めます。しかし心を許しながらお互い言いたいことを言って罵ることができるのは、とてもリラックスした行為です。

妻の私への口撃が始まります。

「バカを具現化したバカ」「背丈も器もなにもかも小さい」「血筋でひとりだけ残念」

私も妻に応酬します。

「注意散漫欠陥障害ど真ん中」「佐野が産んだ生粋のクズ」「二浪一留国試一浪エセ薬剤師」

な、なんて低レベルな会話でしょうか。これが45歳と40歳のあいだでのやりとりです。昨今ご法度となっている容姿に対する暴言の数々、、、

おたがい幼少期から数千万の教育費を費やされてできあがった顛末がこの様です。ああ、お父さん、お母さんごめんなさい。

しかしおたがいの悪口を言うのは楽しいですね。言われるのもわるいきがしません。たしかに「バカを具現化したバカ」と言われると、「お、なかなか私を言い当てているな!」と思います。

私たち夫妻は見た目も性格もまったく似ていないのですが、唯一似ているところがあるとすれば

お互い「ダメな人間だと思われたい」ということでしょうか。

じつはこれは病理が深いのかもしれません。というのもお互い幼少時から周囲の期待が高く、それに準じた優等生を演じてきたことが起因している可能性があるからです。

まわりにも「いい子だね」とか「優秀だね」とか「好青年」だねとか言われ続けるうちに

ほんとうは違うんだけどなあ。。。という思いが悪霊のように私の中に積もり積もって膨れ上がり

「バカ」とか「マヌケ」とか「アホ」とか「クズ」とか言ってもらえると

「あ、わかってもらえた!本当の自分を!そうそう、私ってバカなんですよ!言ってくれてうれしい!」

となるんですよね。

やっと自分が認められた気がするのです。そう私なんてたかが一介のバカにすぎないと、、、

そうした病理が夫婦ふたりの中にあるので、出会ったときにお互い「お、これはいい相手が見つかったぞ」となったわけです。なんせ彼女は出会ったときから、私の中の仮面の姿を暴き、バカにしてきたのですから。。

おたがいを低めあいながら、自分を確認していく。。。

そしてここが大切なところですが、そんな「バカ」や「マヌケ」なところがお互いの「いいところ」だと認め合うこと。

まあ書きながら思いましたが、これは一種のプレイといっても過言ではないでしょう笑

心理的な療法のひとつなのかもしれません。

これはちょっとわかりにくいかもしれません。まあ絶妙な関係性の上で成り立っているのです。人間とはなんとも奇妙なものですね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?