見出し画像

⑸不登校の問題点


以上の4記事から、

私なりの考察を書いてみようと思う。

結論から言うと、不登校には何の問題もない。
問題なのは、『不登校を問題とする社会』こそが問題を問題にしているのだということ。


選択肢がない義務教育期間

就学前、保育園、幼稚園は選べる。詰込み型のものから寄り添い型のものまでどこの市町村に住んでいてもわりと選択肢は多い。

義務教育終了後は、高校、大学になるとさらに選択肢は広がる。最近は公立高校でも単位制や二部制、私立になると通信制や通信の通学生など、本人の希望に合わせて選択肢があるのだ。そして高校に行かずに働いて自由に自分の道を選ぶこともできる。

6~15才の9年間にも及ぶとても大切な子ども期が、最も自由の効かない、選択肢のない期間なのだ。


情報を持たない・出さない学校や行政機関

 不登校になった時、当事者親子は路頭に迷う。
経験者が近くにいるならいいが、学校、教育委員会などの行政は何にも情報を持っていないし、持っていても出さない。そして民間の情報を出す、ということは自分の責任を放棄したということになってしまうらしい。実際に民間の情報を出して保護者に怒られることもあるらしい。


不登校対応は担任任せ

 不登校になって、学校に全く行かなくなったら、担任が数週間に一度は必ず家庭訪問に来る。
本人に会えなくても、とにかく来る。
来るけど、どう対応するかの指針はないため、教師個人の裁量次第で対応は変わります。
学校に来て欲しいと思っている、という言葉も、来なくていいよ、という言葉も、不登校の当事者を傷つける言葉になり得る。
その時に、当事者がどんな気持ちでいるのか、学校で生徒を頑張らせることを頑張っている教師には、しんどくなって引きこもっている子の対応はとてもハードルが高いと思う。


学校に来ている子は頑張らせるのが仕事

「学校に行きたくない」
と振り切ってしまった子の対応は「頑張らせない」に変わる。
振り切るまでは頑張らせる。
学校に行くのがしんどい子は、振り切れるまで頑張らないといけないのだ。

頑張ることを強いられ頑張らされ続けたら、ヒトはしんどくなる。しんどくなって、しんどいのがマヒしてわからなくなって、そしてそれでもやっぱりしんどすぎて学校に行けなくなる。

そこまで頑張ってしまうと、自己否定のパワーレスな状態になってしまう。子どもがパワーレスな状態というのは、本人にとってはもちろん、家族にとっても、とてもしんどい状態だ。体に症状が出ることも多い。


社会は『学校に行くのが正解』と思っている

正解、と思っているから不正解の選択はできない。
不正解の選択をした人のことを社会の落伍者だと思う。
落伍者になりたくないから頑張る、させたくないから頑張らせる。
義務教育の勉強は生きていくのに必要だと信じている。
高校や大学に進学して学歴がないと生きていけないと信じている。

学校外の選択をしたこの保護者でも、学校の勉強はして欲しい、と思っている人は多いように、最低限の勉強はさせておかないと、社会に出た後に子どもが困ってしまう、と思っている人は多い。
 まずは、そこを疑ってみて欲しい、と思う。
なんで勉強をしないと困るんだろうか?なんで学校に行かないと困るんだろうか?集団生活をする必要があるんだろうか?

大人になってしまえば、同級生ばかりを集めて何かをすることはまずない。友だちも同世代だけではなく、気の合う仲間ができていく。
育児本通りに子育てがススマナイのと同じで、7歳になったからといって一年生の学習が、学校生活ができるなんて幻想でしかない。
6歳の時に、学校に行くことを、勉強することをわくわくして楽しみにして入学した子どもたちが、見事なほど勉強嫌いになっていく。

今、教育を変える必要がある。


サポートありがとうございます😊 私の知識の泉への投資として使わせていただきます。 楽しんで書いていきます。