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2. 徹矢、就職。そして解雇・・


西成という場所は、被差別部落があり、在日朝鮮、中国人や沖縄人が多く住み、そして釜ヶ崎という地域を抱える差別の総合商社とも言える町である。

そんな場所で、徹矢と美紀子は出会った。出会いはハングル語講座。出会うなり惹かれ合い、結婚まで時間はかからなかった。たいした恋愛物語にもならない、ドライ夫婦である(笑)


さすがに結婚するころには大学を辞めたことも両親に話していた。

徹矢の両親は、北九州で商売を営んでいた。当然徹矢に跡を継いでほしいと考えていた。その旨を徹矢に話すと、徹矢は北九州に美紀とともに戻ったのだ、事業をたたむために
なんと!ドライ息子(笑)

祖父は生前、
「徹矢が継ぐために帰ってきてくれたと思ったのに、『俺は店たたむために帰ってきた』と言われてとてもショックだった・・。」と教えてくれた。

徹矢と美紀は、1年半かけて事業をたたみ、その間に長女、「とも」をもうけた。そして事業の整理がついた後、ともを連れ、社会問題のるつぼ・大阪西成に再度、移り住んだのだ。時は1975年。

徹矢が選んだ就職先は、モミジ鉄工所。理由は、労働組合がなかったから。徹矢『闘う人生』の始まりである。ここで私、りょんりょん誕生であるが、流れ上ストーリーの中心にはならない。
徹矢は就職してすぐに労働組合を結成。半年後の1976年6月30日、争議に突入した。組合員が腕を組んで会社の入り口を封鎖、会社側は警察を使って弾圧した。その2日後に、組合の委員長徹矢、並びに副委員長、幹事長の三役がそろって解雇を言い渡された。解雇理由は「労働組合を作ったこと」なのだが、それを隠すこともなく組合三役+1名に言い渡したのだ。すごい会社だ。

闘う徹矢は、地方労働委員会を皮切りに、中央労働委員会、東京高裁、最高裁のコースと同時に、大阪地裁、高裁、最高裁と二重に解雇撤回訴訟を全勝で闘い抜いた。

そのような裁判中というのは、裁判の場以外でも、争いを繰り広げる。いくつか例をあげると、

◆朝徹矢は出勤し、会社に入ろうとするも、追い出される。

◆会社の表玄関に横断幕を掲げ、座り込みで抗議。

◆毎年1月1日は社長宅に抗議行動。赤ハチマキ巻いて、拡声器を持って「解雇!撤回!」とシュプレヒコールを上げる。

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初めの仮処分までは無給だったものの、地裁での判決が出てからは差し押さえ権が発生するため、会社側は賃金を払わざるを得なくなる。

40名ほどの従業員を抱えるモミジ鉄工所は、その1割にもなる4名分ものカラ賃金を満額払い続けながら、12年間の裁判を闘い抜いたのである。すごい会社である。優良企業?
そのエネルギーを組合とともに会社の業績を伸ばす方向に使っていたらもっとすごい方向にいっていたのではないのか、と思うのは私だけだろうか。

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これは最高裁判決が出て、職場復帰が決まった後に作ったらしい。「まだやるんかい」とげんなりしてる社長の顔が浮かぶ(笑)


日本国憲法第28条では、
   1. 労働者が労働組合を結成する権利(団結権)
   2. 労働者が使用者(会社)と団体交渉する権利(団体交渉権)
   3. 労働者が要求実現のために団体で行動する権利(団体行動権(争議権))
の労働三権を保障しています。
出典:https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudouseisaku/roudoukumiai/index.html


労働組合とは

雇用する側、される側、という関係では、どうしても雇用する側の権力が大きくなる。そのために労働者が団結し、力関係を均等にして話し合いをするためのものです。

会社が成長、発展するためには、労働者の力が不可欠です。労働者は人間らしく、充実した生活を送りながら働くことで、会社のためにもなり、労働者のためにもなる。本来はそういうウィンウィンの関係であるものですが、雇う側はどうしても権力者になり、搾取する側に陥ってしまう、という性格のため、本来のあるべき姿にするため、労働者の権利は、憲法および労働法で細かに定められています。


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