この世界では、過去、現在、未来のなかで過去が最も変えられないものとして扱われているように思う。 「過去は変えられないから、今を頑張って生きよう〜」的なフレーズは本当によく耳にする。 だけど私は、過去こそ変えられるものだと思う。 だって、過去は思い出すことしかできない。 過去は、今を生きる自分の心でしか味わえない。 だから過去は、今を生きる自分が変われば、更新される。 私が出した成果や味わう新しい感情、得た視点などによって、「あれはああいうことだったんだ」とか、「あれはこの成
自分がYouTubeを頑張っているからこそ、配信者の神対応✨とか、アンチコメントに言い返すなんて時間の無駄✨みたいな言説についてよく考える。 世間では怒りをうま〜く鎮めたりいなしたり飲み込んだりすることがオトナとされているようやけど、そんなん全然ダサいと思うなあ。 そんなんは世界をなんにも良いふうに進めない。 そんなんがオトナとされるなら、全員オトナにならなくていいです。 私は世の中に対して、いつまでも適切にブチギレていたい。 もはや、適切に角を立てられることこそが"大人
私が高一のとき椎名林檎にハマったきっかけは、幸福論の「時の流れと空の色に何も望みはしないように」という歌詞に感動したからだ。 ("いかにも"な私が、いかにも椎名林檎を好きだとまっすぐな目で言えるところが、私のいいところです♡) 「時間が解決してくれる」って言い方にまずちょっと違和感があるのかもしれない。 なに?してくれるってなに? 自分の人生なのに、時間様に解決してもらうスタンスなの? (※してもらったって、いいのにね。) 風くんみたいに喜びも悲しみも全てを受け入れて、現
YouTubeやnoteを見てくれている人はお気づきだとは思いますが、私はイタい人間です。 ずっとイタい人生を歩んできました。 3歳のとき、人形劇の「3匹の子豚」を観て、狼に怯えるあまり、観客席からプリキュアの技を5発ほど放ち、母を赤面させました。 小学生のとき、魔女っ娘夢小説を延々と自由帳に執筆していたら、それをクラスの男子たちに回し読みされて死にたくなりました。 20歳のとき、藤井風さんにガチ恋しました。どうしたら恋人になれるのかを、毎日毎日真剣に考えて、小説を書き始め
私は、“推し”という言葉が、まだぜんぜん嫌いだ。 最近では“推しっていう言葉が嫌いスタンス”こそむしろありふれていて時代遅れみたいな気もするし、そろそろ私も慣れて、風くんのことを人に話すとき、すんなり「私の推しなんだ♡」と言えるようにならなくちゃいけないんだと思う。 でも、風くんは、私の"推し"なんかんじゃない。 “推し”なんて言葉におしこめられない。 "推し"って画面上で見ているだけなのに、強烈に惹かれる存在だよね。 それはもはや、激烈な恋、ではないか? だけど自分には手
私は子供のころから"しょうがない"という言葉に違和感がある。 親に「しょうがないよ」と言われて、納得できたことなんてただの一度もなかった。 自分や相手を励ましたり納得させる言葉や打開策が浮かばないから「しょうがない」で片付けて心を守っているんでしょう?とすら、思う。 もちろん、しょうがないことがあることもわかっている。病気や死、親ガチャ、どうしようもない不運。"しょうがない"という言葉しか薬にならないことだって、人生にはたくさんある。 それは本当にしょうがないっていうか、ど
何も叶えられてないのにこんなところで講釈垂れても意味がない。だからこの文章には意味がない。 苦しくなったときに自分を奮い立たせるために、今書いている。お前、がんばれよ。 夢をみることは、自分を一生傷つける可能性を孕んでいる。 なれなかったな…って30代の私は苦しんでいるかもしれない。 思い描かなければ、そんな思いはしないで済む。 その頃にはいい感じの恋人を作って結婚して主婦になってソイツと青春すごろくをゴールした気になって、人生を乗りこなした気になって、でも心の奥では人生っ
私はYouTube動画の日本語タイトルを「ワセジョが叩いてみた」にしている。キモすぎる。英語タイトルは「from Japanese girl」である。これは私の美学に反する。 音楽に学歴を持ち込むな!日本人の女の子であることを売りにするな!みっともない。お前が大学で学んだジェンダーやエスニシティはなんだったんだよ!(怒) それに反感を買ってしまうかもしれないけれど、東大京大医学部がわんさか溢れる2024年のYouTube界で、ワセジョは学歴を惹きにするにしては、ぶっちゃけ