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五感でとらえる「酒場」という嗜好品

ご時世柄、最初に申し上げます。私は「酒場」を全く「不要不急」と捉えていません。それどころか、「必要火急」に準ずるものの一つとして考えている側の人間です。最初のご挨拶はそうした立場を踏まえてなので、立場を同じくする方は読み飛ばしていただければと思います。

ご挨拶に代えて

ただ、立場の違いというものは人間社会につきものです。「酒場」を語るなんて今時不謹慎じゃないのか、と感じる方、「みんな隠れてこそこそ店で酒飲むから感染が収まらないんだよ」とお考えの方、それ以外にもとかく反論のある方、いろいろあるかと思います。違いがあるのは私も十分認めたうえで、違って良いと思っています。立場の違い、それ自体を否定するつもりは全くありません。

でも一つだけ、お願いがあります。読んで気を悪くするくらいだったら、読まないことを強くお願いします。

ここでは誰の批判もしないつもりですし、以下の文章はコロナ禍と関係なく書き上げることができたと思います。たまたまそれがこのご時世になったという話です。

最後まで読んでいただいたうえで、あぁ成程なと思っていただけるならともかく、変に気を悪くされることは筆者である私の意図ではない(もちろん気を悪くするのは極論申しますと私の知ったことではありませんので、そこから生まれるネガティブな感情をこちらに向けないでいただきたい)こと、最初にご理解いただけると幸いです。




はてさて。

「酒場」

個人的に、酒場は大好きです。訪れた街でも、普段からいる街でも、どんな酒場があるのか気になってしょうがない、そんなタイプの人間です。

なお、飲み会となると別です。好きな飲み会、そうでないもの、私は結構はっきりしているタイプです。きっとお酒を楽しむうえでの「その場の雰囲気からつくられる暗黙のルール」というのが苦手なのでしょう。

えーっと、なんでしたっけ、酒場の話でした。

「酒場」というと、皆さんどういったものを思い浮かべるでしょうか?

RPGに出てくるような、陶器のゴブレットやマグで豪快にビールをキめる、ゲルマン・ノルマン系の酒場でしょうか?イギリスのパブ、フランスやスペインのバーなんかもこの類に入るでしょうかね。

パブ

或は、ちょっとめかしこんで、暗い照明の中、バーテンダーさんが好みのウィスキーやブランデー、カクテルを出してくださるオーセンティックなバァでしょうか?

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もしくは、中華系のガヤガヤしていてとにかく料理がさっさか出てくるところに紹興酒や白酒であるときはちびちび、あるときはグイっとやる中華酒場でしょうか?

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いやいや、もつ煮や梅水晶をアテに、ホッピーや梅干しサワーをがぶがぶやって、そのあと風呂にざぶっと入ってぇのが江戸っ子の酒場ってもんよ、って方もいるでしょう。

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いいですねぇ、楽しいですね、いろいろあって。どれも私の経験した酒場の形ですし、どれも楽しんでました。私は酒場が大好きです。

それで、ずっと考えていたんです。どうして酒場が好きなのだろうと。こういうことは理由を考えるのが野暮なのかもしれませんが、ずっと考えていたんです。なんとなくその理由がわかってきた気がしました。先日受けた嗜好品に関する研究者のセミナーがそのきっかけです。


嗜好品

嗜好品ってなんなんでしょう。セミナーの中で出てきた話から少しずつ取り上げますと、曰く

嗜好品とは「外界・環境と自己の内面をつなぐものである」という結論に、一年かけて至ったそうです。外界・環境が生み出すストレス、それからヒトが持つ根源的な欲求、その葛藤を仲介・解決するものとして嗜好品は存在する、と。嗜好品は「なくても生きていける」という見方をされがちですが、だからこそ価値がある、という結論に至った、と私は解釈しています。

最初これを聞いたときは、「なんか昔のシャーマニズムみたいだな」と思いましたが、二秒後に目から(耳から?)ウロコが落ちました。そうだ。これで全部説明できるじゃないの、と。やっぱり研究の最先端は面白い。

もうちょっと詳しく見ていきましょう。

① 生化学的な視点で見た場合に、嗜好品は活性物質(酒でいえばアルコール、たばこでいえばニコチン、コーヒーや紅茶でいえばカフェイン)を、また文化人類学的には非日常の体験を、それぞれ提供するものです。こうしたものを摂取した結果、嗜好品を嗜む(摂取する、と書きたいところですがあまりに味気ないので)人(以下「対象」)に何かしらの精神的効果が及ぼされます。昂揚感であったり、鎮静作用であったり、時と場合によって、それは様々です。

② 他方、嗜好品は五感に直接作用するのが特徴です。継続して嗜好品に触れることで、経験と学習が「対象」に蓄積されます。脳科学の世界では「報酬予測」という概念があるそうですが、そうした経験がどんどん積み重なっていきます。一番わかりやすい例だと「一日仕事した後の生ビールはうまいなぁ」というところでしょうか。

ホムンクルス

※触覚のホムンクルス
手と口、唇を中心に触覚の集中している部分が描かれています。

③ また、嗜好品を楽しむ際には「所作」と「こだわり」があるといいます。後者はわかりやすいですが、前者は少々説明が必要でしょうか。わかりやすいのは茶道や華道などの「道」がつくもの、もうすこし広くとらえるなら「オーセンティックバーでの最低限のマナー」などが当てはまると思います。オーセンティックバーはご婦人を口説き落とすための場所だと思っていらっしゃる紳士方のいかに多いことか(嘆息)。これら、私の用語としての「イニシエーション」と「属人性」を通じて、嗜好品は「自分だけのひととき」というストーリーを作り出すことに成功するのです。

以上、説明だけだとわかりづらいので、自分の例をあげてみましょう。

私はコーヒーならガテマラ・紅茶はアッサムというこだわりがあります。ただ、コーヒーは飲んだ後にお腹を下しがちなので、アッサムをいただくことが多いです。場所も割と決まっていて、大きな仕事が終わって一息つきたいとき、考え事が多すぎて集中したい時は飯田橋のホテルメトロポリタンで時間を過ごします。ここ、価格も比較的リーズナブルでオススメです。

① でいえば、ホテルのカフェという優雅な空間でカフェインを摂取することで、「あぁ、贅沢だな」という気持ちになり、大変リラックスできます。
② も同様に、ポットから注がれるアッサムの香り、ほかのお客さんの雑談をBGMとしながらも開放的で落ち着いた空間づくり、ホテルマンのホスピタリティ、ポットから感じる紅茶の熱さ、そしてなにより紅茶の味。こうしたものを覚えると、通いたくなるのが人間というものです。「一仕事終えた、メトロポリタンに行くか」となるわけです。
③ も同様ですね。「メトロポリタンでアッサム」をいただく、という習慣が繰り返されることで、その時間がかけがえのないひと時になる。常連客の誕生です(笑)

ということで、酒場もこれに当てはまるのはなんとなくわかっていただけるでしょうか。僕がよくいく日本酒バーの例で行きましょう。しっかりとした店主がやっている、定番と季節商品をそろえたいいお店です。いちいち書くと野暮なんで、次の項に譲りたいと思います。ここまで読んでくれた皆様なら、「酒場が嗜好品」、それゆえ「酒場は外界と自己をつなげてくれる場所」だということに理解を示してくださるのではないでしょうか?そう、酒場は嗜好品なんです。そして嗜好品であるゆえに、それ自体に価値があり、なくてはならないものなのです。


五感でとらえる

先ほど、「酒場は嗜好品である」というテーゼを提示しました。少し穿った見方(当方の見解とは異なります)をすると、「酒場はなくても死にはしないが、よい生を送るうえでは欠かせない」というところでしょうか。私はこの「なくても死にはしない」に激しく反駁してしまいそうなので、ここではそうした気持ちを封印させてください。

さて、小題の「五感でとらえる」です。

昨日のセミナーでは、嗜好品の五感への訴求というポイントに注目してレクチャー(というより副代表の井上さんが半分近くベルベットイリュージョンにキャッキャ言ってクッションでもふもふしている時間)がありました。そこで出てきた概念を利用して、酒場を再構築してみたいと思います。

五感というと、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚そして、体感覚(とあえて呼ばせてください)というものから成り立っているといわれています。体感覚は何かというと、受け取る雰囲気だったりする部分で、五感の枠に当てはまらないので、第六感という方もいますが、そこまで大げさにとらえなくても、というのが私の意見です。

では、ひとつずつ酒場にあてはめてみましょう。

① 視覚:お店の色合い、お料理の(お皿含めた)見栄え、お酒の器の放つ輝き、店主や従業員のちょっとした表情とその変化(喜怒哀楽全部含めて)

② 聴覚:料理をする音、それを運んでいる音、ほかのお客さんの注文の声や話し声、お店で流されたりするBGM、バァならステアやシェイクの音、グラスとグラスがカチンという音。水を注いだ氷がカリカリとひび割れる音。

③ 嗅覚:油ものの揚がる香り、お酒やそのほか料理の香り、相席の客がほのかにつけている香水の匂い、隣席になったオヤジの口の臭さ(笑)

④ 味覚:もう言うまでもないですね。パス。

⑤ 触覚:意外と意識されないと思うんですが、テーブルの質感、椅子の固さ、扇風機のあたる風の感じ、触覚とは少しずれますがお店の温度管理なんかもここに入ってくるでしょう。先ほどの触覚のホムンクルスを持ち出すなら、料理を口に持ってきた時のテクスチャであったり、お酒の冷たさ(一部のお酒では温かさ)もここに入ってくるでしょう。

体感覚:お店の雰囲気といえばいいでしょうか。前項のホテル併設のカフェの例でいえば、ほかの人の話し声は聞こえるけれども、それが何かはわからなくて、BGMとしてプラスに作用している感じ。あるいは居酒屋なら常連同士の会話から感じる居心地の良さ。「ここにいてもいいんだ」という身体的な安心感。


昨日のセミナーでは、こうした五感+体感覚に働きかけることで経験と学習を覚えよう、という話でして、こんな事例が取り上げられてました(くだんのもふもふクッション)

他にもこんなのとか。面白いですねぇ。

個人的に印象的だったのは、ストレスがかかると末梢神経が冷え、リラックスしていると逆に温まるということを逆手にとって、紅茶を飲む際に手先・鼻先が温まりやすくなるというような工夫です。こうすると「紅茶を飲むとリラックスする」ということが植え付けられますよね。

また、複数の感覚を組み合わせることで、より嗜好品の度合いをたかめようという試みもあります。セミナーで取り上げられた例だと「韓国のタコの踊り食い」これは味覚と触覚のコラボですね。とはいえ、嗜好品単体で見た場合、2つから3つが取り上げの限度のようです。


ここで酒場に戻りましょうか。全部そろっていますね。

個人的には酒場は最強クラス(Sランク)の嗜好品なのではないかと、五感を通じてとらえると説明できるわけです。


おわりに

ここまで読んで、正常な批判的精神をお持ちの方であれば「理屈をこねくり回しているだけじゃないの?」とお思いかもしれません。私もそう思います。ただ、目下の状況を考えたときに、こうした理屈をこねくり回す作業も必要なことかと思います。

緊急事態宣言で該当地区での酒場の営業は実質禁止、資金繰りが回らなくなって休業ののち閉めていく店をいくつもみてきました。一度失われたものですぐ取り返しがつくのは株価くらいです。相当に寂しい想いをしながらこのところ、過ごしています。

獺祭を醸す旭酒造さんも蔵元(会社でいえば代取会長・社長に相当します)も意見広告を出しておられますが、GDPの1/6を占める飲食・サービス業をターゲットにした感染対策の実際(専門家委員会が提示した「新しい生活様式」以上の引き締めを図っており、それが本当に功を奏しているのかも疑問)が、多くの人を経済的に苦しめているのも事実です。

かつて山本七平は『空気の研究』という名著を残し、理性だけではどうにもならない残念な日本の姿を描き出しました。出版が昭和52年、半世紀近く前になります。先日亡くなった半藤一利氏も晩年まで高く評価していました。報道等を見るに、あれから大きく日本は変わっていないのかな、と平成生まれとしては思います。世の中はこんなに面白くなっているのに、OSが古いままだと、世の中の解像度は粗く、つまらないものになってしまいがちです。そうしたつまらない世の中をもっと面白くしていくのが我々オトナの仕事と思っているのですが、どうなんでしょう。

嗜好品のない世の中は、寂しいものです。




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