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競馬の仕事は、"軽やかに行き来"しうる世界か

ジョッキーを目指していた元mixi社長でおなじみ朝倉さんが、voicyで「マクロな自分とミクロな自分」というテーマでお話をされていた。

マクロな自分というのは、国や社会がこうあるべきというようなレイヤーで考えて行動する自分。世の中、社会のために何ができるかというような発想を指している。ミクロな自分は、実際の自分がどう行動しているか。つまり、自分の個人最適というか、卑近なことも含めて個人の利益を追求した行動を意味する言葉として使われている。

そのなかで、以下のように馬の仕事はミクロにつなげることが難しいとお話されていました。

「北海道の牧場で馬の調教をしていたとき、ミクロな行動・活動としてはすごい好き。けど、馬主のレジャー。社会との接点薄いな。モヤッとした。」
「俺って日本のGDP、生産活動に何一つ貢献していない」
「単にお金を稼ぐだけではなく、自己満足を得るためにもマクロに関わっている発想で仕事しないとダメな人だと気づいた」

これはめちゃくちゃよくわかるし、この業界に来る前から僕もずっと考えているテーマ。
僕もなるべく自分の生き方をマクロと結びつけたいタイプなので、本能的に今の仕事もマクロに結びつけて考えてはいる。
これから余暇の時代と言われるなかで、レジャーの領域に注力することはこれからの人類が豊かに暮らすための素地づくりに貢献できる部分もある。とかね。

そんな風にある程度言えることはあるんだけど、それでも超マクロじゃないというか、エッセンシャルじゃないのはなんとなくわかってる。だからこそ、悩む。

ミクロに最適化して、好きな業界で好きな仕事していて、死なない程度のお金が得られている状態は、もちろんハッピーになり得る。けど、僕の場合はどんどんQuiet Quittingな状態に向かっていっちゃう気がするの。で、それは性格上サステナブルじゃないのよ、きっと。
常に勝負していたいというか、チャレンジするものがないと、楽しいのにストレスみたいな状態になる。余暇に関わる仕事なんだし、辛い対価として労働力を提供するような仕事じゃない。

だからこそなるべくマクロな仕事をしようと思うと、業界にいい影響を与えるようなチャレンジをし続けている状態をキープしたい。
それができているときはいいんだけど、ちょっと立ち止まったときなんかに、「あれ、このままこの業界にずっとい続けていいんだっけ?」と思う瞬間がくる。

もし本当に競馬の世界がマクロに結びつきにくい業界だとすると、その業界にどっぷりローカライズされてしまうと、他業界と"軽やかに行き来"する難易度は少し上がる。
そうなると、人生100年時代とも言われるなかで、「この業界で生きる」と決めてしまっていいのかは、ちゃんと考えておいたほうがいいと言わざるを得ない。
これは、外の世界を知っている人ほど悩んでいる気がする。

そうなると、「競馬が好きで好きで仕方なくて、すべてを捧げられる人しか働けない業界」もしくは、「これしかできない人の集まり」になってしまう。
そこまでの腹決めをしなくても、できれば、出たり入ったり、もう少し業界の人材流動性が高くなるといいなと思ってる。

いまはAlumyみたいな出戻り採用のためのサービスができるくらいに行き来するのが普通になってきているし、中央官庁や自治体でさえも中途採用を積極的に行っているように、他業界の知見がある人が加わることで強いチームを作ることができることは僕が言うまでもなく当たり前になってきている。
(そのあたり、JRAが新卒のみなのも競馬業界の風土を象徴しているのかもしれない)
そのためには、競馬の世界もいろんなスタンダートを外の世界に近づけることも必要かもしれないし、みんながもうちょっとだけマクロな視点を持つことが必要なのかもしれない。

2022年が終わると、この業界にきて5年が経つ。おかげさまで、僕個人としては長くこの世界にいる人たちにもいろんなサポートをしてもらって、非常に楽しくやってこれている。これには感謝が尽きない。
まだまだ全然この業界に貢献できたとは思わないけど、外からこの世界にやってくる人の数を増やしたいという気持ちは変わらず強いし、そのためにも競馬業界を軽やかな行き来ができる世界にするのはどうしたらいいのかは、これからも考えていきたい。

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